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老いや死、病気の場面に置き換えてみると

スマホのバッテリーや持参している飲料、食べ物の残りを考えながら、基本的に座席に座ったままでいなくてはならないことのつらさ。自分ではなにも解決できないもどかしさ。

だったら、受け入れるまではいかないにしても、スマホの充電も十分にあるからゲームを先に進めようとする人、読んでいた小説を読み切っちゃうぞと意気込む人、たまっているメールの整理を始める人など、その場に応じて臨機応変に意識と行動の優先順位を変えられたほうが、ストレスを軽減できると思うんですよね。

これを老いや死、病気の場面に置き換えて考えてみると、いかにわたしたちがこれらを苦手としているかがわかると思います。不確実だけど確実にくる老いや死を、わからないけどわからないまま受け止めることの難しさたるや。

たとえば、がんであるかどうかの検査結果がわかるまでのあいだ、心が宙ぶらりんの期間、そわそわしないで過ごせる人がどれくらいいるでしょうか?

コロナ禍では、隔離入院している親御さんが心配で心配で毎日電話で容態を確認してくるお子さん(と言ってもこちらも60代から70代の高齢者ですが)が常にいらっしゃいました。

不安や焦燥感を抱えたまま、じっと留まることができないんです。なんとかしたいけど、どうすればいいのかわからない。結果としての行動が、病院への電話となるわけです。