史料に残された「信勝の最期」

たとえば『信長公記』(信長の家臣・太田牛一が著した信長の一代記)には、信勝殺害の場面は次のように描かれています。

『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(著:濱田浩一郎/内外出版社)

先ず、信長は仮病を装い、信勝を清洲城に誘い出す(信勝の母と勝家が清洲に見舞いに行くことを信勝に勧める)。

信勝が見舞いに行くと、清洲城の北櫓、天守閣の次の間で信勝を待っていたのは、信長の臣・河尻秀隆と青貝某でした。この両人によって信勝は殺害されたと『信長公記』にはあるのです。

『信長記』(江戸時代初期の儒学者・小瀬甫庵が著した信長の伝記)には討手は『信長公記』よりも多く記載されています。

こちらで討手に選ばれたと記されているのは「山口飛騨守、長谷川橋介、河尻青貝」の3人。

信長の寝所にて信勝を殺害する手筈だったのですが、青貝が焦り信勝を討ち漏らしたため、信勝は母親がいる部屋に向けて逃走。

しかし廊下にて池田勝三郎(恒興。母は信長の乳母)に捕まり刀で3度刺され殺害されるのです。