着物離れと日本人の感性の風化

文化は、日常の中で使われ、触れられ、必要とされてこそ、次の世代へと引き継がれていくものです。現代の生活では「早く、安く、均一なもの」が蔓延し、手仕事の品は売り場から追いやられ、使われる場を失っています。

染織、陶芸、木工、和紙、漆…日本の人々の生活を支えてきた多くの産地では、技術を伝承する後継者不足で存続の危機に立たされています。日本の文化の多くは、本来の「使われ、触れられ、必要とされる物」から、「守るべき遺産」へ変わりゆく帰路に立たされています。

その象徴的な例が「着物離れ」でしょう。生地を四角形に裁断して作る直線裁ちが着物の要素だとするなら、我々は布が織られるようになった弥生時代(3世紀)から、ずっと1700年以上毎日着物を着てきました。

しかし現在、着物姿の人をほとんど見かけなくなりました。代表的な着物生地である丹後ちりめんは、1973年に919.6万反織られていたのが、2023年には14.7万反にまで落ち込み、「守るべき遺産」になりつつあります。

「便利」「効率的」「早い」が価値の中心にすえられた戦後の社会のなかでは、着物が洋服に日常着としての座を奪われたのは自然な流れだったのかもしれません。しかし結果として我々は、万物に神様を感じ、自然や周囲と共生するという、日本人の感性をどんどん失いつつあります。

洋服は、動きやすさという効率を追求するから、通常袖の袂(たもと)は、腕をくるむ巾以上には取りません、腕のラインに沿った筒袖(つつそで)が基本形で、袖丈は15㎝にも満たないでしょう。一方で着物は長い袂が特徴です。通常の着物の袖丈(袂の長さ)は1尺3寸=49.4㎝、振袖になると、160㎝のお嬢様で2尺9寸5分=112㎝となります。

「便利」、「効率的」、「早い」という価値観からすれば、長い袂は手の素早い動きを妨げて非効率ということになるでしょう。しかし、日本には「袖すり合うも他生の縁」ということわざがあるように、長い袂には縁をつなぐという役割があるのです。

しかも他生とは、前世という意味です。目には決して見えませんが、前世から流れる縁を袖が触れ合うことで再びつなぎ仲良く暮らしていくために、着物の袖は長くしてあるのです。