自分の実力不足に気づかない
そもそも日本では、成果主義で厳しく降格や減給査定になることは少なく、期待通りの成果を出せなくてもクビにならないため、現状認識がしにくい。実力が足りなくても、十分実力があるといった幻想を維持できてしまうため、自分の実力不足の深刻さに気づかないのだ。
かつての日本の組織では、年功賃金が当たり前のように採用されていた。年配者を敬う、先輩に敬意を払う、といった心が社会全体に浸透していた時代は、そうしたシステムをだれもが当然のこととして受け入れていた。ところが、文化のあらゆる面に欧米流が導入されるようになって、人々の心のあり方も変化してきた。
そして、年長だからというだけで給料が高いのは納得いかないという不満だけでなく、一所懸命に働いて組織に貢献しても、ダラダラといい加減に働いても、給料に差がないというのは納得がいかないといった不満も出るようになり、多くの組織で成果主義が導入されるようになった。
だが、成果主義というのは、じつは非常に厳しい制度なのである。
若い人たちがよく口にするのが、「年功賃金だと適当に働いてても年長者は給料が高くなるから納得できません。成果主義になれば、そうしたムダをなくせるから、若い世代の給料が高くなるので、成果主義をもっと取り入れてほしいです」「成果主義なら、頑張った分だけ報われるから、すべてを成果主義にしてほしいです」などといった楽観的な言い分である。
だが、そういう考えは、重大な要件を見逃しており、そこには大きな勘違いがあると言わざるを得ない。
成果主義であれば、ベテランだろうが若手だろうが、年齢に関係なく成果を出した分だけ給料が上がるのだから、若い世代が得をするというわけではなく、それぞれの年代で、同じ年齢でも、同期入社でも、実力によって給料に大きな差がつくことになる。
成果主義なら、頑張った分だけ報われるというのも、大きな誤解だ。成果主義というのは、成果がすべてなわけで、いくら頑張ったところで、成果が出なければ給料の査定は低くなる。
ゆえに、クリエイティブなプロジェクトに立候補しても成果を出せず実力不足が露呈した場合は、相応の厳しい評価が下されることになる。だが、その覚悟なしに自己主張している事例が目立つように思われる。
日本には努力は尊いとみなす文化的伝統があり、努力主義が根づいているため、このような誤解が生まれるのだろうが、欧米流の成果主義で評価されるのは努力ではなく、あくまでも成果なのである。その厳しさをどこまで理解しているのか、疑いたくなる事例も少なくない。
明らかに実力不足なのに、勘違いの自己主張をする人物に対しては、このような文化的背景についての知識を与え、自覚を促すような教育的働きかけが必要だろう。それだけでは十分に機能しない場合は、欧米流に厳しい成果主義の原理を取り入れ、無責任な自己主張を抑制することも考えるべきだろう。