面倒をみてくれる他人に感謝する日々
電話をすると、銀行員が有料老人ホームのパンフレットを持ってきてくれました。3つ、4つは一緒に部屋を見たでしょうか。最終的に、かつて教員として勤めたことのある場所であれば土地鑑もあるかと思い、いま住んでいる老人ホームを選びました。楽しく決めることができたのは、頼れる銀行員の方に出会えたからかもしれません。
施設の環境はよいか、部屋の外の音などは響かないか。まずは一泊体験宿泊をすることになりました。自分ひとりの感覚だとあてにならないし、職場の同僚だった先生に一緒に泊まってくれないかとお願いすると、「今後の勉強にもなるし、面白そう」と言ってくれたのです。私はどこでも寝られる性格なのか、なにも気になることなくぐっすり眠ることができました。
入居日に決めたのは、姉の一周忌を済ませた11月15日。年をまたぎたくなかったのは、住所変更の知らせを、年賀状で済ませてしまおうと思ったからです。
急な話だったので、住んでいたマンションの売却はとても大変でした。足元を見られ、かなり値切られたような気もします。でもそれも仕方ないのでしょう。本はほぼ処分し、姉の衣類は親類に分けました。母や姉の箪笥だけ片付けられないまま施設に持ち込み、いまも残っています。私がいなくなったら、きっとそのまま処分されることでしょう。
あの慌ただしい入居から16年が経ちます。私は職場の学校給食のおかげで、嫌いだった野菜やおかずも食べられるようになりましたし、そういう食事に慣れていたからか、いまの施設での栄養を考えた食事も残さず摂ることができます。だからこの年齢まで身体が丈夫なまま暮らしてこれたのではないでしょうか。
私を支え、面倒をみてくれたのは、血のつながった家族よりも赤の他人でしたので、そういう人たちに感謝しながら毎日暮らしています。ここへの入所を決めたときは、確かに思い切りました。でも元気なうちに決断したことは間違っていなかったと、いまは思っています。
※婦人公論では「読者体験手記」を随時募集しています。