「家事にしても、スクワットをしながら掃除機をかけるなど、工夫してトレーニングの一環にしています」(撮影:岩村美佳)
本日の『あさイチ』の「プレミアムトーク」に登場する元競輪選手の高松美代子さん。9年前、48歳で競輪学校の女子1期生に合格し、大きな話題になった人物だ。その後2012年にデビューし、2017年に引退。現在は、日本競輪選手会の一員として競輪を裏方で支えている。実は、競輪学校の合格時に、『婦人公論』(2011年7月7日号)で、競輪学校受験までの道程と、これからの意気込みを語っていた。第二の人生をスタートしようとする躍動感に満ちたインタビューを再掲する。(構成=武香織 撮影=岩村美佳)

「本当に合格かな?」という不安も

2012年7月、48年ぶりに復活することになったプロの女子競輪。競輪選手の養成機関・日本競輪学校は、2011年1~2月、女子の第1期生を選ぶ入学試験を実施した。200mと1kmのタイムトライアル、適性試験、作文、面接などの厳しい試験を経て合格したのは、10~20代を中心とした36名。その中でひときわ脚光を浴びたのが、当時48歳の最高齢合格者、高松美代子さんだった。21歳と24歳のふたりの娘の母にして、小学校講師と水泳教室指導員もこなすパワフルな主婦は、49歳の誕生日を迎えた11年5月、プロの競輪選手への道を歩み始めた。


合格発表は、自宅のパソコンで見ました。ホッとしたのと、やるぞ!という意気込みと、48歳の私が48年ぶりの女子競輪復活の第1期生に選ばれたのも何かの巡り合わせだな……という感慨深さとがないまぜになり、ものすごく幸せでした。

ただ、「本当に合格かな?」という不安もありました。昨年、アマチュア女子競輪の合宿に応募したところ、中・高生が思いのほか大勢集まったらしく、40代の応募者はすべて断られたという経験があるんです。なので、この合格もどんでん返しで「40代お断り」になりはしないかと考えてしまって。(笑)

私のスポーツ歴で一番長いのは、水泳です。小学校2年生で、大阪の名門・浜寺水練学校に入り、競泳、日本泳法をメインに、シンクロナイズドスイミング、水球、水上安全指導などを学びました。大学進学後は、競技ではなく水泳教室での指導を中心に活動。卒業後、事務員として自分が卒業した小学校に就職したときも、結婚し、慣れない東京へ引っ越したときも、妊娠・育児中でも、とにかく水泳だけは続けました。

競輪学校に入学が決まって3月に退職するまで、小学校で算数の習熟度別指導講師をしていましたが、その間も区民プールで週2回水泳教室指導員のバイトをしていました。

ちなみに、小学校で教えるようになったのも、「水泳」がきっかけです。学校事務員時代、同僚教員の勧めで教員免許を取得したのですが、結局「ペーパー」のまま。それが、12年前、ある小学校で夏休み限定の水泳指導員をしていたときに、教員の方から、「せっかくの教員免許、生かしてみない?」と誘われたんです。