日本が掃海を再興したころ、従事する人員は約一万人、艦船は三四八隻を数えた。
ただし危険な任務であり、実際に掃海中の触雷事故もあった。いちど海軍在留を決意した人員にも、復員を望む者が徐々に増えた  。
 装備も万全と言い難かった。
 掃海艇は磁気機雷の起爆を防ぐために木造が適しているが、海軍で建造した正規の艇は高温高湿の南方で酷使されてあちこちが腐っているか、急造すぎて耐久力に難があった。しかも数が足りず、相当な数の漁船を徴傭、つまり強制的に借り上げてしのいでいた。掃海具も性能不足か、やはり数が足りない。かつ、その展開や収容などの作業はほとんど人力であり、要員の負担は重かった。
 東京の海軍省と各掃海隊が苦心を重ねている間、内閣はGHQが矢継ぎ早にくだす民主化の命令を実施できず総辞職した。新内閣は国会議事堂を背景にした焼け野原で集合写真を撮影した。焼夷弾が荒っぽく地ならしした東京のほうぼうにバラックが建ち、各地の工場や炭鉱ではストライキが頻発した。学校では教科書には墨が塗られ、民主化を望む男女の学生たちが教師を追及した。米軍の婦人兵が街を闊歩し、男の軍隊しか知らない日本人は仰天した。
 不作が予想されていた稲作は、実際の収穫も平年の六割にとどまった。戦災による物流の崩壊が拍車をかけ、食糧不足は深刻となった。配給品だけを口にしていた高校教授が餓死し、来年までにあと一千万人が餓死するという噂が立ち、闇市は金さえあれば何でも食える場所となり、だがインフレーションのせいで一杯のウドンが目まぐるしく値上がりしていった。復員者を満載した列車には、農家へ買い出しに行く人々がしがみついた。
戦犯容疑者の逮捕も始まった。対象者は従容と連行され、あるいは拳銃で自分の胸を撃ったが助かってしまい、あるいは服毒自殺に成功した。日本軍の戦車や航空機、軍刀が各地で焼却処分された。
 外地からの引き揚げが始まり、内地では復員がほぼ完了した一一月末日、陸軍省と海軍省が廃された。それぞれ第一復員省、第二復員省となり、居残った旧軍人は文官の身分となった。旧海軍の掃海関係者は、第二復員省総務部掃海課の所属となった。
 新部署での松原の初仕事は、復員に従事する旧海軍艦艇の視察だった。どこも人手が足りないから仕方ないと思いながら、ぎゅうぎゅう詰めの列車を乗り継いで各地の港を回った。ついでに、松原なりに見込みがあるか顔見知りの将校に、掃海課への転属を説いて回った。余計なことまで話してしまう癖が悪かったらしく、たいていの将校は生返事しかしなかった。駆逐艦「響」の浦賀航海士などは、露骨に嫌な顔を寄こしてきた。
 年の瀬も押し迫ったころ、視察から帰ったばかりの松原は省庁舎の応接室に呼ばれた。
「アメリカ第五艦隊から、今後の掃海について相談したい、という呼び出しがあった。私は東京を離れられんから、きみが行ってくれたまえ。これより申し送りをしておく」
 二人きりで対面した課長の村上もと大佐は、こまごまと説明を始めた。課長クラスに個室はなく、米軍に関わる話は機密が多いから、ほかの課員がいない応接室を使うのだな、などと松原は余計なことを考えた。
「しかし、少佐に過ぎない私では、米軍と渡り合うには格が足りないのでは」
「横須賀で波木(なみき)くんが合流する。交渉ごとは彼に任せよ」
 波木は村上課長と同格のもと大佐だ。ひと月ほど前に横須賀の対米連絡機関へ転属となったが、それまでは機雷周りの仕事をやっていた。格も知識も、たしかに申し分ない。
「なるほど、交渉ごとは波木さんがやる。私は東京にある情報を持っていくだけの伝書鳩みたいなものですな」
「さような物言いで波木くんを悩ませてはならんぞ」
 村上課長が念を押してくるから、松原は「むろんです」と軽々しく請け合う。一五分ほどして申し送りが終わると、雑談の調子で松原は言った。
「ところで課長。ポーレー案についてどう思っておられますか」
「藪から棒だな。われわれ旧軍人が考えることではない、と思っているが」
 村上は妙な話を否まず、だが奥ゆかしい答えを寄こしてきた。
 ポーレー案とは、公表されたばかりの日本賠償案のことだ。
 通常、敗戦国は戦勝国に対して、与えた損害を賠償する。敗(ま)けた日本が連合国にどれだけの賠償をすべきかを検討するため、アメリカ大統領の特使ポーレーが調査団を引き連れて来日していた。ひと月ほどでまとまった「中間賠償計画」なる暫定案は、すぐに公表された。
 ――工作機械の製造能力は現状の半分、鉄鋼生産力は年産二五〇万トンまで削減する。また兵器と航空機、軽金属の工場は全廃する。かくて発生する余剰の生産設備を、戦勝国への実物賠償とする。
 この案がもし実施されれば、日本が再び軍事大国となることはない。ただし主産業は農業となり、国民の生活水準は大正時代ごろの状態にまで低下する。賠償案は日本に生存最低限の工業生産しか許さない過酷なもので、懲罰の意味合いを多分に含んでいた。ポーレー自身も「日本国民の生活水準は、日本が侵略した他国民より低くなければならない」と公言していた。
 案が公表されたとたん、新聞や言論人のたいていは、賠償案の過酷さを指摘した。ただし侵略者であったという負い目、敗戦国としての気後れもあり、賠償案の否定まではできなかった。
「賠償が重くなるのは仕方ないが、ポーレー案はさすがにひどい。世論の方向としては、そんなところでしょう。私としては、そんな弱腰では困るのですが、課長はどうです」
「賠償案については考えない、と私はさっき答えた」
 村上課長は、国家を敗北させた旧軍人としての節度を堅持しようとしている。それは松原にも分かるが、歯がゆくもある。
「松原第二復員官、きみは何を考えているのだ」
「海軍の再建です。工業生産力を奪われては、再建などとてもおぼつきません」
 村上は眉をひそめ、小さくため息をついた。
「それこそ旧軍人が口にしてよいことではない。申し送りは理解したな。なら横須賀へ行きたまえ」
 松原は「はっ」と応じ、椅子から立ち上がり、挙手の敬礼をする。
「行ってまいります」
「軍人でなくなったのだから、敬礼はやめよ」
 さらに眉をひそめる村上に今度は頭を下げて一礼し、松原は課長室を後にする。
 俺がふっかけた海軍再建を、課長は否定しなかったな。
 そんなことを考えながら、足早に階段を下りてゆく。

                  〈つづく〉

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