「キレキャラ」に限界が来て……

だけど私はどんどん先輩になっていき、キレても頭を叩いてくれる先輩が少なくなっていった。青木さやかは、冗談を言えるタイプではなく、ある意味本質を突いてしまい、「お前がなに言ってんだよ!」と、ツッコんでくれる方がいてこそ笑いになる手法しかできない不器用な人なのだ。だから「笑ってもらえないのにキレるのはなぁ」と悩みながら、しかしお仕事でいただいたキレキャラを、なんとなくやり過ごしていた。

そのうち、役に立てなかったことを肌で感じ、親に褒めてもらえなかったところからきているのか元々の自己肯定感の低さも加わり、それはそれはつらくて悲しい時代に入る。

こんな話を、女芸人の方たちにしたことはないが、一度光浦さんに、「ツライです」とこぼしたことがある。「青木は頑張ってるよ、偉いと思うよ、逃げないから」と言ってくれて踏ん張れた。そんな日もあった。逃げたかったけど。

女芸人として、私は一体なにができたのか、役に立てたのか、大体役に立つってなんなのか。その時のことがまだ過去になりきってないからかうまくまとまらないのが事実。

楽しかったのか。それは残念ながらNOであり精一杯でしかなかった。

 

テレビに出続ける才能ってなんだろう

売れない時代、長井秀和さん相手に夜な夜な中野のロイヤルホストで「テレビに出てる人より私のほうがずっと面白いのに」と愚痴っていた。

「青木は面白いですよ」

「ですよね、見返してやりましょうよ!」

「誰をだよ」

「知らないけど。全員」

「青木は狂ってるな、面白いですよ」

私たちは毎晩こんなことを繰り返し、そして同時期に売れた。2人で特番をしたこともあるし、私の事務所ワタナベエンターテインメントと長井さんの事務所タイタンの社長と一緒の食事会に呼ばれ、次世代を担うタレントとして話したこともあった。