中村哲医師との不思議なご縁
ライブの開催はまだ当分無理でしょうが、楽曲という形で皆さんに音楽を届けることはできます。先日発売を迎えたアルバムのタイトルは、『存在理由~Raison d’tre~(レゾンデートル)』。このタイトルは、僕の姉貴分である加藤タキさんの言葉からヒントを得たものです。
数年前に僕が行ったチャリティーコンサートに来てくださったタキさんから、「これこそ、さだまさしのレゾンデートルだ!」とメールをいただいて。それをきっかけに、自分なりに「レゾンデートル」という言葉について考えてみたんです。
フランス語で、哲学の分野では「存在理由」と訳されていますが、それは客観的な存在理由ではなく、わたくしが自分に対して認める存在理由という意味ではないか。そう解釈すると、「生きがい」と言い換えられます。僕にとっての生きがいは音楽で、曲を作り歌うことが僕のレゾンデートルでもある。生きがいや自己肯定としてのレゾンデートルを探そうというのが、このアルバムの出発点です。
アルバムの最後の曲「ひと粒の麦~Moment~」は、アフガニスタンで人道支援を続けてきた医師の中村哲さんに捧げるものです。2019年12月に、中村さんは現地で武装集団の襲撃に遭って亡くなられた。僕は故郷の長崎に「ナガサキピースミュージアム」という小さなミュージアムを作ったのですが、ここで中村さんに講演をお願いしたことがあって。残念ながら、僕は会場に伺えなかったので、生前お目にかかったことはありません。
僕は勝手に中村さんとの不思議なご縁を感じていました。中村さんの伯父は作家の火野葦平(ひのあしへい)で、祖父の玉井金五郎は、火野の小説『花と龍』のモデル。玉井金五郎は北九州で港湾荷役(にやく)労働者、いわゆる沖仲仕(おきなかし)を束ねる玉井組を営み、沖仲仕の生活改善に一役買った侠客でした。実は僕の曽祖父も、長崎の港湾労働者約500人を束ねる侠客で。人情や任という言葉が生きている時代の侠客って、ちょっと憧れるじゃないですか。僕も侠客の末裔なのに、中村さんの足元にも及ばないな、と。(笑)
中村さんが赴いたアフガニスタンでは、もはや戦う理由がわからない状態で内戦が続いていた。生活ができない人たちは、給料がもらえるという理由で雇われ兵士になる。それを見た中村さんは、診療所を建てることも大事だけれど、水路を作れば農業が始められ、兵士になる必要がなくなるとお考えになった。
中村さんの尊い魂を伝える方法はないか。そう思って書いたのが、「ひと粒の麦」です。詞やメロディを書き直しているうちに、中村さんから手紙をいただいたような歌が生まれた。歌というのは作るのではなく、いただくものなんだなぁと感じました。
アルバムのもうひとつの大きな軸が、ヴァイオリニストで東京藝術大学学長の、澤和樹さんとのコラボレーションです。1曲目の「さだまさしの名によるワルツ」という曲を作っていただきました。
僕は以前、「シラミ騒動組曲」という歌を書いています。これはドレミファソラシというイタリア語読みの音階7文字を組み合わせて歌詞にして、メロディはその音に合わせる、というもの。騒動は「ソ・ド」です。これがめちゃくちゃ受けた。
澤先生がそれを面白がって、「さだまさし」を音にあてはめたらどうなるか、「SADA」とローマ字で書いて作曲をなさった。ドイツ語の音階だと半音にも名前がついており、S(=Es)はミの♭(フラット。半音下)。Aはラ。Dはレとなります。後にも先にも自分の名前がついた楽曲なんてありませんから、実に幸せだなあ、と。そこで感謝の気持ちを込めて、澤先生がヴァイオリン、僕が歌でデュエットする「柊(ひいらぎ)の花」も作りました。
そのほか、岩崎宏美さんの還暦祝いに書いた「残したい花について」や、トワ・エ・モワさんのデビュー50周年に差し上げた「桜紅葉」、小田和正さんと作った「たとえば」など。たくさんの人の力を借りました。
僕は若い世代のミュージシャンみたいに、パソコンだけでアルバムが作れる人間ではありません。やはり人が出した音を人が録音する形でやりたい、古いタイプの音楽家です。僕らは一人では生きていけない、共存しているんだと、アルバム作りを通して改めて感じています。