義肢製作のため、メジャーで患部の採寸を行う(写真提供=ルダシングワ真美さん)
石膏を使って患部の型を作る。ヤスリでていねいに削って形を整えているところ(写真提供=ルダシングワ真美さん)

義肢装具士を目指して

ガテラは子どものころ罹ったマラリアの治療ミスがもとで右足にマヒがあり、常に装具と杖が必要な状態でした。ところが日本滞在中に、装具が壊れてしまった。お医者さんに相談すると、「修理するよりも新しく作ったほうが経済的」と言われ、神奈川県横浜市にある平井義肢製作所で型を取ってもらいました。

作業工程を見ていたガテラが技術の高さに驚き、「この技術をルワンダに持って帰り、自分と同じように障害を持つ人たちのために役立てたい」と言ったんです。同時に私も、「勉強すれば、彼の装具が壊れたときに自分で作ってあげられる」と思いました。理由は違っても、目的が一致したわけです。

ルワンダには、紛争や病気が原因で手足に障害のある人がたくさんいます。彼らのことをガテラは考えていたのです。

ガテラがルワンダに戻った後、私は平井義肢製作所の親方・平井貞夫さんのもとで働くことにしました。義肢装具士は国家資格で、学校に通うと資格を取るまで約3年かかりますし、お金もかかる。なので通学は諦め、お金を稼ぎながら勉強できればと「弟子入り」を選んだのですが、始めてみるとすごく面白い。それまで私は事務仕事をそつなくこなし、上司にしかられたこともありませんでした。ところが職人の世界では、失敗すれば容赦なくしかり飛ばされます。それが逆に新鮮でした。

親方からはさまざまなことを学びました。あるとき私がちょっと手抜きをしたら、すぐ見破られた。「おめえ、最後の仕上げをちゃんとやらなきゃダメじゃないか。こういうのをケジメというんだぞ」と。初めて「ケジメ」の本当の意味を知りました。

毎日懸命に親方の仕事を見習いながら、時給400円ほどのお給料をコツコツ貯める。義肢装具士の資格も取れ、「ルワンダに行ってガテラと暮らす」という夢に向かって充実した毎日でした。ところが94年4月、突然ガテラと連絡が取れなくなってしまいます。