写真左は夫のガテラさん(写真提供=ルダシングワ真美さん)

町には大虐殺の爪痕が

ルワンダという国は、1922年から62年までベルギーの植民地でした。ベルギーはルワンダの人々をツチ族とフツ族、トワ族に分けて待遇に差をつけ、互いの敵意を煽ることで、宗主国への不満を逸らすよう仕向けました。そうして募っていった憎しみが爆発したのが、94年の「ルワンダ大虐殺」です。ツチ族とフツ族が殺し合い、わずか3ヵ月で80万~100万人の命が奪われました。家族や親戚が全員殺されたり、遺体が見つからなかったりしたため、実際の犠牲者数は今でもわかっていません。

虐殺の報道をテレビで見ながら、「ガテラは殺されてしまったかもしれない」と思ったこともありました。でも、連絡を取る余裕がないだけかも……。祈るようにして待ち、3ヵ月後、ようやく彼から電話がきたときには、安堵のあまり崩れ落ちそうになりました。彼は虐殺の終了したルワンダに帰っており、「早くこちらに来て、この現状を見てくれ」と。

95年6月、私はルワンダへ渡りました。一見すると、町には日常が戻っていた。でも、外からはわからない人々の心の傷が、あちこちに存在していました。ルワンダではほぼすべての人が、被害か加害、何らかの形で虐殺に関わっています。町中では、自分の家族を殺された人が、加害者とばったり出くわすことも。被害者が叫び声を上げると、たちまち人垣ができて加害者を警察に連れて行く──そんな光景をたびたび目にしました。

また、ガテラが私に見せたいと言った場所がありました。5000人のツチ族が虐殺された教会です。事件を風化させないため、現場は当時の状態で保存されていました。教会の中には多くの遺体が残されており、すさまじい腐臭がする。壁を見ると、赤ちゃんを叩きつけて殺したという血の跡がある。それらを見たときに、正直、「この中に彼がいなくてよかった」と思いました。同時に、そこで殺された人がいるにもかかわらず、ガテラが無事であることだけを考えてしまった自分が恥ずかしかった。

ルワンダでは、殺し合いをした人たちが、今も同じ場所で暮らしています。恨みを持ち続けている人もいますが、憎しみの連鎖に疲れてしまった人も多い。政府も、新しい国を作り直すためには虐殺という過去から抜け出さなければいけない、と考えていました。

ガテラがよく言うのですが、「人間は、忘れてしまうと同じことを繰り返す。自分たちが語らなければ、子どもたちが再び武器を持ってしまう」。あの出来事を忘れず、過ちを繰り返さないようにしようという思いは国全体で共有されており、毎年4月には各地で追悼式が行われています。