「生きること」の中であなたはまず人間
「御幸福ですか」とまずお訊ねするのを許して下さい。この夏、北軽井沢でたまたまあなたをお見かけしました。浅黒い顔と白いよれよれの麻服との対照が印象的で僕は楽しかった。しかしあなたの真面目な姿が、夏の高原の空や草いきれやとんぼや――そういうものの明るさの中にどこかおかしい程遊離して見えたのを覚えています。あなたやあなたのおつき達が、いかにもそこだけ人間の秩序といったようなものの中で窮屈そうなのが、あの美しい夏の高原の空気とあまりにも異質なものに見えたのでした。
この夏は長い間軽井沢にいらっしゃって、しかしそこでもあなたはやはり「皇太子」でいなければならなかったのでしょうか。ブライス氏の「あなたは皇太子になられたいですか、それともふつうの少年になられたいですか?」という問に対してあなたが「わかりません、僕はふつうの子供になったことがないんですから」と答えられたという話を読み、僕はやはりあなたの不幸を感じました。あなたは「僕はふつうの子供ですよ」とけげんな顔をしてブライス氏を見返すことが出来なかった。あなたは自分が「皇太子」であり、「ふつうの子供」ではないと思っている。僕はあなたの素直さを感じます。しかし「皇太子」であり「ふつうの子供」であることがもっと大切なのではないでしょうか。実際あなたは「ふつうの子供」である筈なのです。
夏の陽の下にいる時、あなたの家庭の中にいる時、また、馬を駈けさせる時、そしてもっと大きくあなたが生きることの中に自分を感じる時、あなたは地球上のすべての人間、サラリーマンであれ、乞食であれ、白人であれ、黒人であれ、そのような人間のひとりである筈です。生きることというもっとも深いところで、あなたはそれらすべての人々とつながり、また、それと同時にあなたは全くひとりぼっちの筈なのです。そこには侍従もいないし、友人もいない。日本国民もなければ、共産主義者もない、あなたはひとりで生まれ、ひとりで生き、ひとりで死なねばならぬ魂なのです。「そんなこととっくに感じている」とあなたがおっしゃってくだされば僕は大層嬉しいでしょう。
高原の夏の空気の中で、そこだけどこかちっぽけな城のようにかたまっていたあなたのおつき達、そういう世界に多く住まねばならぬあなたの不幸を僕は感じてしまうのです。あなたのおつきの中で、日本人の中で、各国外交官の中で、あなたは「皇太子」です。しかし学校であなたは「生徒」であり、家庭であなたは「息子」であり、やがてあなたの妻にとってあなたは「夫」であるでしょう。そしてなによりも「生きること」の中であなたはまず人間です。世界中のすべての人と変る所のない人間です。そこであなたはすべての人々と手をつなぎ、また手をつなぎながらもひとりの筈です。