代々、あるいは親が守ってきたやり方では先行き不透明な家業を継いだ女性たち。そこにはお金よりも大切にしたい“思い”があった。まずは、父親の急逝後、豊洲市場でゴム製長靴の製造販売業を営む実家に入社した女性に話を聞いた(撮影=本社写真部)
創業は明治、河岸の男たちの足元を守り続けて
「子供の頃、両親から『学校に行けて、毎日ご飯が食べられるのは、お店があるから。魚市場のおかげだということを忘れないように』と言われて育ちました」。そう語るのは、豊洲市場に店を構える「伊藤ウロコ」の5代目・伊藤嘉奈子さん。
伊藤ウロコはもともと、日本橋の魚河岸で下駄や草履などを販売する履物業として、明治時代後期に創業した。日本に天然ゴム加工の技術が入ってくると、いち早くゴム製長靴の製造販売に着手。築地市場ができてからは市場内で営業し、河岸の男たちの足元を守り続けてきた。
小さい頃から国語辞書を読むのが好きだった嘉奈子さんは、活字に関する仕事をしたくて広告代理店の制作部門に就職する。編集業務に携わっていたが、1997年に父親が66歳の若さで急逝したことで、人生の転機を迎えることになる。
「元銀行員の母は店の経理をやっていましたが、経営となると話が違います。突然4代目の社長になり、苦労していました」
そんな母親を助けるべく、朝6時から3時間ほど家業を手伝うように。編集業と店の仕事の二足のわらじは、体にも負担が大きい。加えて「まわりは男性ばかりで身内もいないからつらい」と嘆く母親を放っておけず、「私が継ごうか?」と、自分から手をあげた。