代々、あるいは親が守ってきたやり方では先行き不透明な家業を継いだ女性たち。そこにはお金よりも大切にしたい“思い”があった。2人目はバブル崩壊、リーマンショックといったシリアスな状況に直面しながらも“ワンマン”経営を改革しながら、従業員が誇りをもって働ける製品開発に取り組んだケースを紹介する
マタニティハラスメントで退社
「家業を継ごうとは、子供の頃はまったく思っていませんでした」。そう語るのは、静岡県の清水で機械の部品などを作る精密板金加工業・山崎製作所2代目の山崎かおりさん。「私が小学校1年の時、父親が会社を設立しましたが、2階が住居で1階が工場。父は油まみれで働いて、作業着も汚いし、若い頃は家の仕事を毛嫌いしていました」。
貿易の仕事をしたいと考えていたかおりさんは、東京の大学在学中に中国語を勉強。卒業後は中国雑貨の個人輸入業を3年手がけた後、地元静岡の一般企業に就職した。ところが結婚し妊娠すると、部下を上司に据えられるなどいわゆるマタハラに遭い、退社を余儀なくされる。
「その頃、経理をやっていた母に家業を手伝ってと言われて。実家なら子育てと仕事が両立できるという安易な考えで、91年に入社しました」
その後、売り上げの8割を占める大口顧客がバブル崩壊により倒産し、会社の経営は急激に悪化する。なんとか持ち直したものの、2008年にリーマン・ショックが起き、会社は再び赤字に。体調が悪かった父親は、もう廃業するしかないと家族に宣言した。
その時かおりさんの脳裏をよぎったのは、今まで会社を支えてくれた熟練工たちを路頭に迷わせていいのだろうか、という思いだった。それなら私が会社を継ごう。無謀にも、そう決心する。