テノール歌手・秋川雅史さん(写真は動画から)
『千の風になって』で一世を風靡したテノール歌手・秋川雅史さんは、折に触れて、名曲『長崎の鐘』を長崎で歌ってきました。『長崎の鐘』は、作詞・サトウハチロー、作曲・古関裕而(朝ドラ『エール』主人公のモデル)。古関裕而の曲はなぜ人々の心に響くのか。この曲を歌いつづける意味とは。秋川さんが語ります。

※本記事は、動画「テノール歌手・秋川雅史が、古関裕而の『長崎の鐘』を歌い継ぐ理由」の一部を再構成したものです

歌の力を目の当たりにした

今年はいろいろな歌手の方が古関裕而さんの歌を歌われています。私の歌の大切なレパートリーにも古関裕而さんの名曲があり、コンサートで歌ったりしています。

そのひとつ、『長崎の鐘』を歌い始めたのは2006年頃です。当時はまだ日本中のほとんどの人には秋川雅史という歌手は知られていませんでした。その年『千の風になって』のCDがリリースされ、細々とですが全国7ヵ所をめぐるコンサートツアーをやり、その1ヵ所が長崎だったのです。会場は浦上天主堂。そこでコンサートをやるとなるとやっぱり「長崎の鐘」は外せないなとなりました。

ただ、その頃の僕にとっては、『長崎の鐘』というタイトルは聞いたことがあったけれども、世代でなかったこともあって曲を聞いたことはありませんでした。それでも、スタッフなど多くの方にあそこでコンサートをやるなら絶対歌ったほうがいいと言われ、その歌を自分のものにしようと研究し、練習しました。そしてコンサートで歌ったところ、長崎のお客さんが聴きながら涙を流すのです。歌の持つ力って大きいなあと、その光景をみて思いましたね。

 

悲しい歴史にも希望を見出したい

その年の年末、私は『千の風になって』で紅白歌合戦に出て、翌07年、今度は全都道府県でコンサートをやりました。そして、長崎では前年に引き続き、浦上天主堂で『長崎の鐘』を歌うことができたのです。しかもその日は8月9日。長崎の人たちにとって特別な歌を、8月9日という特別な日に歌った。それは本当にものすごく意味を持った『長崎の鐘』だったし、歌い手としても、あの日は大きなポイントとなったと思いますね。