片付け上手だった母が残した品々を手ばなせなくて

5年前に88歳で亡くなった私の母は、とても片付け上手な人だった。そんな母への「思い」もまた、片付けられない理由の一つになっている。母が一人暮らしをしていた家には、私たちきょうだいが子どもの頃に使っていた食器や、10年以上前に他界した父のライター、ネクタイピンのほか、母がこだわって仕立てた着物などが残されていた。

こうした品々を見ていると、父や母との思い出が蘇ってきて、思わず目頭が熱くなってしまう。片付け上手な母が、最後まで大切に手元に残していたものを捨てるのは忍びない。私の家で保管させてもらえないかと申し出た。

すると、息子たちは大反対。「自分たちの荷物もあるのに、どこにしまうつもりだ」と言われてしまった。親戚もみんな、「あなただっていつ何があってもおかしくない年齢なのだから、処分するのがいちばん」と言う。たしかに、正論だ。私だって、わかってはいる。そして結局、遺品は母が住んでいた家に置いたままになっている。片付けられない場所がもう一つ増えてしまったのだ。

息子たちは自分のことを棚に上げ、「おばあちゃんの遺品は、どうしても必要なものではないはず」と処分するよう迫ってくる。でもそこには、私に万が一のことがあったとき、自分たちが祖母の遺品まで処分するのは面倒、という思いがありありと透けて見えるのだ。息子たちの荷物がなければ、母のモノを我が家に移して、まずは母の家を処分することができるのに……。

でも息子たちはきっと、家が片付かないのは私の気質のせいだと思っているに違いない。たしかに、私は片付けが苦手。会社員時代は書類や文房具の整理ができず、上司に「この間渡した、あの書類をもう一度見せて」と言われれば、机の中身をひっくり返して、大捜索しなければならなかった。机まわりがいつもきれいで、てきぱきと仕事をこなす同僚の姿に、「どうして自分はできないんだろう……」と落ち込むことも多かった。

しかし、我が家や母の遺品が片付けられないのは、元来の片付け下手のせいなのかと言われたら……。子どもの頃から、親に「片付けなさい」と口うるさく言われた記憶はないが、「モノを大切にしなさい」とよく諭された。歳を重ねるごとにその言葉が身につき、「もったいない」「まだ使えるモノは捨てられない」と強く思うようになった。そう考えると、すべての原因は私にある。それは、私の「欲」にほかならないのだ。

古いものを処分すれば運気がよくなると聞く。息子たちの荷物を整理するきっかけを作るためにも、私自身が動かなくてはならない。「欲」を手ばなす。それが第一歩だ。わかってはいる。わかってはいるのだが……。

 


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