また新型コロナウィルス感染症で悲しいニュースが飛び込んできました。世界的にその名を知られるファッションデザイナー・高田賢三さんの訃報です。高田さんと数十年にわたって親交を深めてきたという『マリ・クレール・スタイル』の田居克人編集長が高田さんを悼み、その思い出を寄せてくれました
人柄はいたって穏やか、シャイそしてまじめな方
9月10日から体調を崩され入院していた高田賢三さんが、10月4日、パリ郊外ニュイリーのアメリカンホスピタルで、COVID-19(コロナ)のため亡くなられました。享年81。
この7、8年はパリに行くと、必ずといっていいほど賢三さんと食事をしていました。賢三さんの住まいと私の定宿、それから賢三さんと大の仲良しである仏版『マリ・クレール』の元ファッション編集者だった山崎真子さんのアパートが同じ地域だったので、いつも3人でサンジェルマン界隈で食べ、飲み、東京、パリそしてファッション界の話と話題は尽きず、また教えていただくこともたくさんありました。
日本人ファッションデザイナーの力を世界に認めさせた先駆者でもあった賢三さんの経歴や実績については、あえてここでは触れません。しかしそんな大変な成功者でもあるにも関わらず、人柄はいたって穏やか、シャイそしてまじめな方でした。
『婦人公論』1981年11月号のグラビア「シャトー・ケンゾー」より。42歳の高田賢三さん。ビクトワール広場の一角をかり、小売店部「JAP」とデザイン部「KENZO」にわけ、ファッション業界で確固たる地位を築いた頃