本連載をまとめた『ショローの女』伊藤比呂美 中央公論新社(6月22日発売)

それで今、計画してることが二つある。

一つは「短詩型文学論」の最終回で、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」をみんなで朗読したい。

テストはやってみた。全員で声を出すために、声を出せないウェビナーから声を出せるミーティングというシステムにみんなで移動して、萩原朔太郎の「ふらんすへ行きたしと思へども」という詩を朗読した。ミュートにしていた学生たちのアカウントから声が出てきた。

「みんなが一斉に自分の空間を解放して、それが音だけでなくどこか解放的な雰囲気で」「どんどんずれて、詩が言葉から離れて、音の羅列になったとき、そこで感じたのは街の喧噪でした。人々が気の向くままにおしゃべりをするようなその音はとても懐かしく、たくさんの人のしゃべり声に安心感を持った人は私以外にも大勢いたと思う」「声はバラバラでも、大勢の人間が同じことをするという確かな一体感」「いろんな時代、いろんな場所、いろんな人がザーッと心に入ってきて、自分とつながる感覚だった。こみ上げるものがあった」と学生たちがリアペに書いてきた。

もう一つは「文学とジェンダー」で、今期の授業が終わったら、希望者を集めてオフ会をしたい。

「文学とジェンダー」では、ジェンダー、LGBTQ、性の悩み、親との葛藤、人生のことならなんでも話し合う。ここでも一年生の大半は高校生のままだ。孤独だ、一人だ、どうやったら友達をつくれるのかとしきりに言ってくる。去年まで、対面式でやってたときも、人とどうやって関わるかわからない、友達ができないという悩みは定期的に出てきた。それで授業の初めに、ホラ隣の人に話しかけて名前を聞いて、なんてことをやらせていたのだった(いやがる子もいるから強制はしないようにして)。