「別に私は料理研究家になりたいわけではありません。この先も《フランス料理の魅力を伝える家政婦》として働き続けたい。」(志麻さん)(写真提供:『ちょっとフレンチなおうち仕事』[ワニブックス]より)
オファーのあった家庭を訪れ、契約時間の3時間内で15品ほどの料理のつくりおきを仕上げて、片づけまで──。その驚異の手際のよさと、本格派の料理が話題を呼び、「予約がとれない伝説の家政婦」と注目を集めたタサン志麻さん。しかしこの仕事に就くまでの道のりは、決してまっすぐなものではありませんでした(構成=山田真理)

フランス料理に心揺さぶられて

家政婦として働き出して5年が経ちました。いまはメディアへの出演やレシピ本の刊行など、思いがけない分野にまで仕事が広がり、自分でも驚いています。

2人目の子どもがまだ1歳なので、ここ数年は家政婦の仕事をセーブせざるをえませんでした。仕事の再開を決めていた春には、突然のコロナ・ショック。ステイホーム生活で、どこのご家庭でも自宅での食事時間が増え、そのぶん家事代行を頼みたいと考えた方は多かったと思います。でもコロナ禍の影響で、思うように仕事をお受けできなくて。とても心苦しかったですね。

早く本業に戻りたい。メディアや著書を通じて、大好きなフランス料理に対する思いや魅力、レシピを伝えられるのは嬉しいことですが、別に私は料理研究家になりたいわけではありません。この先も「フランス料理の魅力を伝える家政婦」として働き続けたい。それがいまの仕事に巡り合うまで、料理人として約15年、喜びも苦しみも味わってきた私が辿り着いた本心です。

テレビでご覧になって、ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、私はもともとフランス料理の料理人。高校卒業後に入学した料理の専門学校では、和食、イタリアン、エスニックなど、たくさんの国や地域の料理を学びました。なかでも、私の心を大きく揺さぶったのがフランス料理でした。

はじめて口にした仔羊の煮込みや手づくりのマヨネーズをはじめ、何度も食べたはずの豚肉のソテーさえ、フレンチの手にかかればまったく違った料理になる……。それは18歳の私にとって、とてつもない感動の連続でした。すっかりのめり込んで、図書館でフランス料理の本を読み漁り、フランス語の学校にも通って、専門学校のフランス校に留学しました。

留学先では、希望者は半年間、現地のレストランで研修を受けることができます。私は幸運にも、ブルゴーニュ地方の有名な三ツ星レストラン「ジョルジュ・ブラン」から合格がもらえて。肉、魚、野菜の下ごしらえから、製菓、加工品の工場までいろいろな持ち場を体験させていただきました。