『家族じまい』(桜木紫乃:著/集英社)

 

【選評】

「地味と滋味」 浅田次郎

地味な作風である。

しかし滋味がある。

以上、というわけにもいかぬから、蛇足ながら多少の解説を加える。本作にかかわらず桜木紫乃氏の作品がおしなべて地味に感じられるのは、ストーリーのダイナミズムを欠くからであろう。よって歴史小説やミステリーで非日常のドラマを堪能している多くの読者にとっては、いささか食い足りぬ。

だが一方では、氏の作品に接して、小説という表現にしかありえぬ面白さに、開眼した方も多いと思われる。人生はおおむね劇的に展開せず、緩慢な日常の中で、科学技術の発達とはさほど関係なく進行するからである。

氏の作風はまず、そうした平凡だがのっぴきならぬ日常を舞台としているところに、特長がある。すなわち、読者にとって親和性のある現実である。

作者は視点者の心理を繊細かつ端的に描く。文章は丁寧で過不足がない。登場人物それぞれの人生と生活を正確に彫琢してゆく。

さて、こうなるとまことに地味な日常小説にとどまってしまうところだが、第四章に老夫婦の船旅と女性サックス奏者の視点を配して、閉塞感に窓を開いた。地味な小説が、おいしくて栄養に富み、深く豊かな味わいを得た。こうした勘どころは、作者の天稟であろう。

清潔で静謐な一巻を読みおえて、この作家は日本文学の正統をつないでいると思った。

 

「核家族の中にある問題」 鹿島茂

一昔前までの人類学では、家族というものは自然であり、普遍的だとされていました。ところが、近年の家族人類学では、家族はかなり人工的なものではないかというような考えに変わってきました。つまり、それぞれの成員が無理しなければ維持出来ないものであり、その「無理する」という部分に環境的要因や文化的要因から来る特性が現れるのだと見なされるようになったのです。

ところで、桜木紫乃さんの『家族じまい』の舞台となっている北海道は、家族にかんしては、家父長制の縛りが一番弱い核家族が中心になっています。問題は北陸や北関東などと比べて家族のストレスが最も少ないはずの北海道から『家族じまい』という小説が現れたことだと思います。つまり『家族じまい』が提起しているのは、本来なら自由なはずの核家族の中に、逆に現代日本の深刻な問題がすべて凝縮されており、それが核家族の要石である女性に重くのしかかっているということなのです。この意味で、一見すると非常に地味なこの小説こそ、日本という国の抱えた病巣に最も果敢にメスを入れた勇気ある作品とみなすことができるのです。

ロンド形式の『家族じまい』のそれぞれの短編では、平凡きわまりない主人公の目を通して描かれる日常のディテールがこのうえなく緊張感に満ちており、もし、日本名作短編集が編まれるとしたら、どれが入ってもおかしくない出来栄えのものです。

桜木紫乃さんは、小説家としての審級を一つ上げたばかりか、もしかすると代表作を書いたのかもしれません。