『婦人公論』11月10日号の表紙に登場している米倉涼子さん(表紙撮影:篠山紀信)

父が残してくれた家族の絆

個人事務所の名前は「Desafio(デサフィオ)」。スペイン語で「挑戦する」という意味です。もちろん独立したことも大きな挑戦でした。2年くらい前までは考えたこともなかったのに、人生ってどうなるのかわからないものだなって思います。コロナだって、こんな大変なことになるとは誰も想像していなかった。でも、本当は何が起きても不思議ではないんですよ、きっと。

だから、生きていくうえで大切なのは柔軟性かなって思います。こうでなくちゃダメだという思い込みを捨てて、状況に合わせてやり方を変えていく臨機応変な対応力を武器に、新たな人生を開拓していきたい。つまり生きていくこと自体が挑戦だということですよね。

私の場合、目の前に立ちはだかる山は高いほうが燃えるタイプではあるのですが……。本来は怠けもので、できることなら苦しいことは避けて、旅行をしたり、友達とご飯を食べにいったりしながら快楽的に暮らしていたいほうなのです。それなのになぜ、高い山を見て武者震いするのか? と考えてみたところ、私の中の負けず嫌いの血が騒ぐのだと思い至りました。

5歳から15年間続けていたクラシックバレエの世界では、トップを取るためにライバルたちと火花を散らすのが当たり前でした。そういう環境の中で、何かを掴むためには人一倍頑張らないといけないという考えが染みついたというか、知らず知らずのうちにメンタルも鍛えられていたのだと思います。

バレエ教室に通わせてくれた両親に感謝です。普通のサラリーマン家庭で、レッスン料を払い続けるのは大変だったはずなのに……。親には頭が上がりません。

と言いつつ、70歳になる母とはいまだに顔を合わせれば喧嘩になることも多くて。4歳下の弟は私と正反対のしっかり者で、彼が加わって3人で調和が保たれるという感じです。うちの家族はそれぞれマイペースで、そんなに頻繁に連絡を取り合うことはないものの、そのつかず離れずの距離感が心地よい。そう思って安心していられるのは、深いところで繋がっているからかもしれません。

父は47歳でがんを患い、10年間の闘病生活を経て他界したのですが、母と私と弟は一致団結して父の介護生活を乗り越えた、いわば同志。父の死から15年を経た今、父は家族の絆という宝物を私たちに残してくれたのだな、とつくづく感謝しています。

母は、父の介護を経験して思うところがあったのでしょう。エンディングノートを書いているようです。私や弟のお荷物になりたくないなんて言っています。そして新しい趣味を持つと宣言して、タップダンスを始めたり、フルートを習ったり……。どうやら私の挑戦気質は母ゆずり。

年々、母に似てきたなあと思うことが増えてきましたね。母が電話で誰かと話しているのを見て思ったんです。このうるさい感じ、遺伝だったのかって。(笑)