中村 その精神は、秋元さんに受け継がれているのでは?

秋元 いやいや、そこまでは全然いきませんが、偉大な先人を間近に見て、非常に勉強になりました。僕は修業を積んで作詞家になったわけではなかったのでね。先生はどんなものが人の心に残るかというのを瞬時に判断してしまうんです。

たとえば「なんてったってアイドル」は詞が先で、あれに曲をつけるのは相当難しいと思うんですが、まさに神業。それ以降、楽曲制作を依頼されると、「じゃあ秋元君が一曲詞を書いて、僕も一曲メロディを書くから」と作ったものを交換。僕はメロディにインスパイアされて詞を書くし、京平先生は僕の詞にインスパイアされて曲を書くっていうことをやっていました。

中村 クリエイティブな現場ですね。

秋元 面白かったですよ。あの時代、ものすごい先人たちの作ったものを見て僕らは育ったわけです。

阿久悠先生とは2、3回しかお会いしたことがないですけど、やはり忘れられない言葉があって。一つは「街鳴りがなくなった」。昔は有線放送や商店街など、いろんな所からヒット曲が流れていたでしょう。それがヘッドフォンの誕生により、各々で音楽を聴くようになり、子供からお年寄りまで口ずさむ音楽がなくなった。僕らもよく責められますけど(笑)、売り上げが100万枚を超えても、一部の人しか知らないという現象が起きる。

あともう一つは、「スターというのは、手の届く高嶺の花か、手の届かない隣のお姉ちゃんか、どっちかなんだ」。これはけだし名言だと思いました。ほかにも、なかにし礼先生の「夜と朝のあいだに」に出てくる《むく犬》という表現や、「時には娼婦のように」の《娼婦》という言葉とか。フランス文学を学んでシャンソンを訳詞していた方独特の言語感覚で、好きでした。

阿久先生と筒美先生のお二人が亡くなった今、街鳴りがして皆が同じ歌を口ずさんでいた時代が遠く感じます。

 

今はスターが生まれにくい

中村 楽曲だけでなく、いわゆる「国民的スター」が生まれにくくなったともいわれますが、そういう実感はありますか。

秋元 やはり情報が多い時代ですからね。今はDVDや配信でずっと映像が残ります。しかし、かつては映画やテレビでしかスターの姿を見られないから、その一瞬を思い出の中に刻むしかない。だからスター性が生まれた。今のようにいろいろな人がスターを街中で目撃し、そのプライベートまでがSNSにあがると、当然、神秘性は薄れます。記憶のなかで偶像が生まれ、育まれることを考えると、やはり今はスターが生まれにくいなとは思います。