「筒美京平先生の言葉で、今でも覚えているのは、『時代になっちゃ駄目。時代になったら必ず古くなる』という言葉」(撮影:木村直軌)
日本を代表する作詞家であり音楽プロデューサーである秋元康さん。大スター美空ひばりさんの歌った名曲の作詞から、AKB48グループや坂道シリーズなどのプロデュースまで、時代を超えてエンターテイメント作りにかかわってきた。秋元さんにとって、「本物のスター」とは──(構成=中村竜太郎 撮影=木村直軌)

偉大な先人たちから学んだこと

中村 秋元さんは放送作家としてデビューされたのが高校2年生の時で、20代前半には作詞家としても活動を開始されています。仕事を始めて今年で45年。長い間、芸能界でスターと言われる方々とたくさん仕事をなさってきたわけですが、まずは先日亡くなられた作曲家の筒美京平さんのことを伺えたらと思います。稲垣潤一さんの「ドラマティック・レイン」や、小泉今日子さんの「なんてったってアイドル」など、多くの楽曲で一緒にお仕事なさっていましたよね。

秋元 僕が作詞家になるちょっと手前か、書き始めたくらいの時に、京平先生のほうから「会いたい」と連絡があり、食事に連れて行っていただくようになったんです。その頃、僕は放送作家として『ザ・ベストテン』などを担当していた。20歳そこそこでテレビ番組を作ったり、作詞をしたりしている面白そうな若者がいると知り、興味を持たれたのでしょう。京平先生は、常に時代の風を感じていたい方で、若造の僕に「これは何で売れてるの?」といろんなことを聞いてきて。

中村 時代の風、ですか?

秋元 まあ、流行を調査するようなことなんですが、マーケティングとは全然違う。時代の風の流れを感じるために、いろんな所のノイズをあえて聞きに行っている感じがしました。その一つが、20代前半の若造の僕だった。言いたいことをあれこれ話しましたけど、まあとにかく先生は聞き上手でした。いろいろなことを学びましたよ。たとえば食事に行く時の大人の作法とか。僕らが若い頃は、かっこいい大人が周りにたくさんいたんですよね。

中村 そこから共に仕事をするようになったわけですね。

秋元 先生との最初の仕事は、稲垣さんの「ドラマティック・レイン」です。今でも覚えているのは、「時代になっちゃ駄目。時代になったら必ず古くなる」という言葉。最先端をとらえて流行を作り、ヒットを飛ばし続けている京平先生は、普遍的であるにはどうしたらいいかということをずっと考えている。面白い方でしたよ。