高校時代はサックスに夢中に
僕は1972年、北海道札幌市生まれ。姉と妹がいる長男です。当時は第二次ベビーブーム。父親は技術職で大学へ行っておらず、出世という意味で苦労していましたから、息子には同じ思いをさせたくないと思ったんでしょうね。教育には比較的熱心で、大学進学は絶対。僕ら子どもたちには「高校は進学校に進み、高校2年生から大学受験勉強を始めなさい」と言いきかせていました。
両親の希望通り、高校は進学校へ。しかし、入学して1ヵ月経った頃、高熱を出して4日間学校を休んでしまったため、微分積分などの数学の授業についていけなくなってしまったんです。
病欠明けの日は、年に1回実施される芸術鑑賞の日で、その年は映画館で『敦煌』を鑑賞しました。主演の西田敏行さんや、佐藤浩市さんなど俳優の方々が普段テレビで見る印象とまるで違っていて、それがすごく不思議で、カッコよくて。その時にうっすらと、現実の仕事として芸能という世界に興味を持ち始めた記憶があります。
サックスを吹き始めたのはそのちょっと前ですね。大好きな姉がチェッカーズのメンバーとしてサックスを吹く藤井尚之さんに心酔していて、嫉妬心と憧れの気持ちが同時に芽生えました。「絶対にサックスをやろう!」「やらなきゃお姉ちゃんが取られちゃう」と本気で思ったんです(笑)。
高校時代の僕は、「手に職をつけるなら、若い今こそやるべきだ」と思って、勉強をそっちのけにして独学でサックスの練習を続けていました。未来への足掛かりを探して、地元で組んだバンドの連中と出場したコンテストの様子が地元のテレビで放映され、僕のサックスソロが16小節間丸々映った時は嬉しかったです。
そんなこともあり、大学へは進学せずに将来はサックスプレーヤーになると、本気で思っていたわけです。両親から「そろそろ受験に専念すべき」と言われても夜な夜なバンドのリハーサルに出かける僕を見かねた母がある日、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」の募集記事を見つけてきて、「サックス奏者はこの世にたくさんいる。あなたが特別なことを、これで証明してみせて。落ちたら受験勉強しなさい」と。母の言うことももっともだなと応募したのですが、なんとグランプリをいただいてしまったんです。
父はなお厳しく「このジュノンのグランプリをもって青春を終わりにして受験勉強を始めなさい」と言いましたが、母は「もともと大学を卒業する22歳まで面倒を見ようと思っていたわけだから、それまでは(芸能界で)様子を見るのもいいんじゃないか」と僕の背中を押してくれたんです。