撮影:岡本隆史
難解な哲学を明快に論じ、ネット社会の未来を夢見た東浩紀さんは、2010年、新たな知的空間の構築を目指し、「ゲンロン」を立ち上げました。10年もの間、「場」を提供し続けてきた苦悩の道のりを、新著『ゲンロン戦記「知の観客」をつくる』(聞き手・石戸諭)で明かしています。その推進力となった東さんの根底にある思想とは? 彼を形作る3つのキーワードを取り上げます。第2夜のキーワードは「観客」です。

※本稿は、東浩紀『ゲンロン戦記「知の観客」をつくる』(中公新書ラクレ)の一部を抜粋・再編集したものです

第一のキーワード「誤配」についてはこちら

教育の「危険性」

2015年に立ち上げた市民講座「ゲンロンスクール」のコミュニティにはある効用があります。多くの人たちはプロになりたくてゲンロンスクールに来ているのですが、現実問題としてはプロになれるひとはごく少数です。生徒のほとんどは夢を実現できない。

これはゲンロンスクールだけの問題ではありません。教育全体の問題です。どんな分野でも、才能があって、好きなことを仕事にできるひとは100人か200人に1人です。もっと少ないかもしれない。にもかかわらず、100人や200人からお金を取るとは一体どういうことなのか。教育というのは、一歩まちがえれば、自己啓発系の詐欺行為になる危険性をつねに抱えているわけです。

この問題に教育者はどう対処すべきか。ゲンロンスクールを始めて5年、ぼくが見出した答えが「コミュニティをつくること」です。べつの言いかたをすれば、受講生に、コンテンツの制作者になる道だけでなく、「観客」になるという道を用意することがとても大事になってくる。作品を発表しそれで生活するプロになることはできなくても、作品を鑑賞し、制作者を応援する「観客」になるのもいいではないか、ということです。

『ゲンロン戦記――「知の観客」をつくる』東浩紀・著/中公新書ラクレ

観客になるなんて負け組じゃないか、というひともいるかもしれません。けれどもそれはまちがいです。美術でもSFでもマンガでもなんでもいいですが、あらゆる文化は観客なしには存在できません。そして良質の観客なしには育ちません。日本では同人の二次創作と商業マンガの関係を考えると理解しやすいかもしれません。

比喩としていえば、壇上で踊る人間だけが文化を創っているわけじゃない。壇の下=客席で踊りを見ているひとも一緒になって文化を創っているんです。客席に座り続けるひとを育てていくというのも、教育の大きな役割です。