ゲンロンスクールの模様。2020年6月27日の「ひらめき☆マンガ教室」第3期最終講評会。左からさやわか、武富健治、ブルボン小林、金城小百合の各氏。(写真提供:ゲンロン)

みながスターになることは原理的にありえない

ほんとうはむかしは出版社もそういうことをやってきたのだと思います。小説であれば、作家を育てるだけでなく、読者を育ててきた。文芸誌も読者とともに育ってきた。けれどもいまの出版社は、売れる作家をどこかから探し出してきて、一発当てることしか考えていないように感じます。読者=観客を育てるという発想を、出版人は忘れてしまったのではないでしょうか。 

だから、ゲンロンでは、才能あるクリエイターではなく、それを支える批判的視点をもった観客も一緒に育てたいと考えているのです。むろん、全員が全員、観客であることに満足するとは思わない。けれども、教育のなかで「おれには才能がない」と腐りかけていた受講生が、「たしかに自分には才能がないかもしれないけど、まわりには才能がある連中がたくさんいるし、そいつらと一緒にムーブメントを起こすのもおもしろいじゃないか」と感じてくれたら、それこそ未来につながると思うんです。

いまはみながみなスターを目指している社会です。新自由主義とSNSがその傾向を加速しました。けれどもそれは原理的にまちがっている。だって、みながスターになることは原理的にありえないんだから。だから、スターだけが文化を創るのではなく、じつはその周囲のコミュニティこそが大切なんだという価値観をもっと広めていく必要があります。ゲンロンスクールをやっていくなかで、この「観客」の問題もまたゲンロンの肝なのだと考えるようになりました。
 


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