婦人公論

この記事は広告を見ると
ご覧いただけます

続けて記事を読む
元のページに戻る
婦人公論
  • 最新号
  • アンケート・投稿
  • 定期購読
  • プレゼント
  • 会員登録
  • ログイン
会員限定 ランキング 芸能 読者手記 介護 お金 人間関係 漫画 レシピ 健康 美容 性愛 教養 占い 小説 連載
  • TOP
  • 連載
  • 滅びの前のシャングリラ/52ヘルツのクジラたち(2021本屋大賞ノミネート)
  • 本屋大賞受賞! 町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』冒頭を一挙掲載!
滅びの前のシャングリラ/52ヘルツのクジラたち(2021本屋大賞ノミネート)
2021年01月21日
教養 連載 寄稿

本屋大賞受賞! 町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』冒頭を一挙掲載!

町田そのこ 作家
×

会員限定の機能です。
詳細はこちら

印刷
X
Facebook

 

「どうして、噂と違うと思ったの?」
 とりあえず訊くと、村中が「何となく」と言う。
「地に足がついた感じがする。丁寧に掃除してるし、食材の選び方もいい。仮に住んでるだけとは思えない」
 はあ、と気の抜けた声が出る。言われた通り、この家には長く住むつもりだ。だから、お金をかけて修繕なんてしてもらっているのだ。
「それに、玄関に花を飾ってるし、庭木の手入れもしてるだろ」
 この家には海が見える縁側と、狭いけれど庭があって、わたしの最近の仕事は庭いじりだ。秋には海に浮かぶ月を眺めて一杯やれたらなあ、と考えている。
「風俗嬢でもそれくらいすると思うけど?」
 仕事に対する偏見では。そう言うと、村中は「ぶっちゃけてしまうと、風俗嬢の匂いがしない」と言った。お前もそう思うって言ってたよな、とケンタに同意を求め、それまでそわそわとわたしたちの様子を窺っていたケンタは、顔を真っ赤にして狼狽(うろた)えた。
「俺らの知ってるのと雰囲気全く違うもんな。こんなん、違うよな」
「な、なんちゅーこと言うんすか! ほんともう、黙ってくださいよ」
 ケンタがわたしに「すんませんすんません」と頭を下げる。それから、「でも、違いますよね?」と訊いてきた。こいつも、気になってはいるのか。
「そういう仕事に就いたことはない」
 ため息交じりに言うと、ケンタがほっとした顔を見せた。
「追ってくるようなヤクザもいない」
 言いながら、だんだん腹が立って来る。なんでわざわざ、こんな説明をしなきゃならないんだ。近所に引っ越しの挨拶とかしてないけど、しなくちゃいけなかったの? こういう事情でやってきたんですけど、って? ていうか、どうして近くに住んだだけで身元証明しなくちゃならないんだ。
 ああ、もう。引っ越してくる土地を間違えたのかな。他人と関わり合いたくなくてここまで来たのに、結局同じじゃないか。おへその少し上の辺りがぎゅっと疼き、思わず手をあてて気付く。
「ねえ、どうしてヤクザに切りつけられたなんて……」
 問おうとして、しかしすぐに思い至る。あの個人病院だ。傷口が痛くて堪らなかったから、痛み止めと抗生剤を貰いに行った。
「信じらんない。個人情報ダダ洩れかよ」
 思わず脱力して、座り込んだ。これって訴えられるんじゃないの。
「傷は、本当なのか」
 村中が驚いたように言う。その間抜けな顔を睨みつけ、「どうせあんたもペラペラ話すんでしょ」と言った。
「もうどうでもいいや。ヤクザに追われてる風俗嬢でもAV女優でも、どうとでも言えばいいじゃん。どう思われようが平気だし」
 本当は追い出してやりたいところだけど、床だけは直してもらわないと困る。寝室にする予定の洋室が酷い有様で、その部屋には荷物の搬入すらできていないのだ。
「床直したら、さっさと帰って」
 もう、一緒の空間にいたくない。立ち上がり、メッセンジャーバッグを掴んだ。
「十八時まで出てるから」
「あ、三島さん! あの、待って! ほんと、謝りますんで!」
 ケンタが上ずった声をあげるが、無視して家を出た。
 潮臭い風が、怒りで火照(ほて)る頬を撫でた。どこへ行こうかと周囲を見回して、やっぱり海だなと思う。密集した家の隙間を縫うように走る小路を下ると、十分もせずに海に出るのだ。
 わたしの住む家は、小高い丘のほぼ頂上にある。わたしの家から裾に広がる海の間には数十軒の古い家屋があって、その半分ほどが空き家だ。昔は漁場として栄えたらしいけれど、今は漁師になるひとが少なくて、その上どんどん都会に移り住んでいくとかで活気がない。とにかくひとがいない、と言っていたのは転入届を出しに行った役所のおじさんだった。その時は、若い人の転入は大歓迎だって喜ばれたんだけどなあ。そしてそのおじさんは、港や魚市場がある所まで出ればお店が増えて賑やかだとも言っていたけれど、東京に住んでいた身としては五十歩百歩だった。
 潮で錆(さ)びたトタン屋根や固く閉めきられた雨戸を眺めながら、ゆるやかな坂を下る。かつてこの一帯の網元一家が住んでいたという大きな屋敷をぐるりと迂回して通りに出ると、定規で線を引いたような堤防が現れる。ところどころにひびの入ったコンクリート製のそれには、いくつか金属製の梯子がかかっている。釣り人がかけたのだろうか、堤防の上にはいつも、釣糸を垂らしている人影を見つける。今も、少し離れたところにふたりいた。腰の曲がったおじいさんたちで、あのふたりは毎日のようにいるのだが釣れたところを見たことがない。今日もきっと釣れないのだろう。
 梯子を上ると、海が広がっている。右手側に港と魚市場があって、船が何艘か停まっているのが遠目に見える。左手の奥には、海岸。地元の子どもたちがよく水遊びをしている。ここからでは豆粒ほどにしか見えないけれど、今も何人か遊んでいるようだ。風に乗って、楽しそうな笑い声が聞こえる。世間的にはそろそろ夏休みに入っているころなのだろうか。
 じりじりと焼けるコンクリートの上に仁王立ちし、「失敗した」と小さく声に出して呟いた。強い日差しを遮るものがないのに、ノーガードで出てきてしまった。グレーの長袖パーカーにデニムパンツだから手足はある程度防げるけれど、問題は顔。ノーメイクなのだ。家に戻って、日焼け止めを塗りたくりたい。ついでに日傘とか持ってきたい。振り返り、家のある方向を仰ぎ見る。小さな平屋建ての我が家は、ここからだとブルーの屋根しか見えない。屋根を見つめていると、苛々(いらいら)がぶり返してきた。

 

  • <
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • >
×

会員限定の機能です。
詳細はこちら

印刷
X
Facebook
ランキング
  • デイリー
  • ウイークリー
  • 1明日の『ばけばけ』あらすじ。三之丞と再会したトキ。松江を離れたはずのタエと三之丞が再び戻ってきた経緯を聞くことに…<ネタばれあり>
    明日の『ばけばけ』あらすじ。三之丞と再会したトキ。松江を離れたはずのタエと三之丞が再び戻ってきた経緯を聞くことに…<ネタばれあり>
  • 2『ばけばけ』で朝ドラ史上最高レベルの衝撃展開。あの名家の妻が…視聴者「殴られても凛とする姿に涙」「三之丞は何してる⁈」
    『ばけばけ』で朝ドラ史上最高レベルの衝撃展開。あの名家の妻が…視聴者「殴られても凛とする姿に涙」「三之丞は何してる⁈」
  • 3明日の『ばけばけ』あらすじ。物乞いとなったタエを見かけてしまったトキは声をかけることができず…<ネタばれあり>
    明日の『ばけばけ』あらすじ。物乞いとなったタエを見かけてしまったトキは声をかけることができず…<ネタばれあり>
  • 4汚れた着物の男性はもしや…『ばけばけ』次週予告。「ここは地獄!」と花田旅館を出るヘブン。驚いた表情のトキ。ヘブンが手を取った相手は…
    汚れた着物の男性はもしや…『ばけばけ』次週予告。「ここは地獄!」と花田旅館を出るヘブン。驚いた表情のトキ。ヘブンが手を取った相手は…
  • 5北川景子が語る『ばけばけ』雨清水タエ役。名家の妻から衝撃の転落に「もし独り身だったら切腹していたはず。三之丞を野たれ死にさせるわけにはいかないので…」
    北川景子が語る『ばけばけ』雨清水タエ役。名家の妻から衝撃の転落に「もし独り身だったら切腹していたはず。三之丞を野たれ死にさせるわけにはいかないので…」
  • 6日本のデニムは穿き込むほどに「いい味」が出る。世界中のハイブランドからも注文が入るほどの技術力とは。見えない部分にも職人たちの工夫とこだわりが
    日本のデニムは穿き込むほどに「いい味」が出る。世界中のハイブランドからも注文が入るほどの技術力とは。見えない部分にも職人たちの工夫とこだわりが
  • 7<とびきりの夢を見させてもらった>『べらぼう』次回予告。高笑いする家斉の元を去る定信。苦しそうな表情を見せるてい。そして冷たい顔の歌麿が蔦重に告げたまさかの言葉とは…
    <とびきりの夢を見させてもらった>『べらぼう』次回予告。高笑いする家斉の元を去る定信。苦しそうな表情を見せるてい。そして冷たい顔の歌麿が蔦重に告げたまさかの言葉とは…
  • 842℃を超えたお風呂に入ると、血液がドロドロになり心疾患や脳血管障害のリスクが…温泉療法専門医が教える正しいお湯の浸かり方
    42℃を超えたお風呂に入ると、血液がドロドロになり心疾患や脳血管障害のリスクが…温泉療法専門医が教える正しいお湯の浸かり方
  • 9【101歳。ひとり暮らしの心得】人間いつ何があるか分からないのは、家族がいても同じ。未来におびえながら暮らすより、今を精いっぱい楽しむ方がいい
    【101歳。ひとり暮らしの心得】人間いつ何があるか分からないのは、家族がいても同じ。未来におびえながら暮らすより、今を精いっぱい楽しむ方がいい
  • 10東京西部の名門「西高校」は、都心の学校に比べて校風がおおらか。学校群制度の導入でライバル・日比谷高校が低迷していた時期も、ある程度の東大合格者数を維持し…
    東京西部の名門「西高校」は、都心の学校に比べて校風がおおらか。学校群制度の導入でライバル・日比谷高校が低迷していた時期も、ある程度の東大合格者数を維持し…
  • 1『じゃあ、あんたが作ってみろよ』「鮎ちゃんは誰かに任せなくても大丈夫」ミナトと話す勝男に視聴者からは…「完敗の乾杯」「本当は鮎美のことよく見ていたのでは?」
    『じゃあ、あんたが作ってみろよ』「鮎ちゃんは誰かに任せなくても大丈夫」ミナトと話す勝男に視聴者からは…「完敗の乾杯」「本当は鮎美のことよく見ていたのでは?」
  • 2『じゃあ、あんたが作ってみろよ』第5話あらすじ。ミナトに鮎美を託すと決めたが、未練を捨てきれない勝男。そこに地元の大分から兄・鷹広が訪ねてきて…<ネタバレあり>
    『じゃあ、あんたが作ってみろよ』第5話あらすじ。ミナトに鮎美を託すと決めたが、未練を捨てきれない勝男。そこに地元の大分から兄・鷹広が訪ねてきて…<ネタバレあり>
  • 3<蔦重とは終わりにします>『べらぼう』次回予告。尾張での商談をまとめ、子もできて順風満帆の蔦重。錦絵も評判となるが、なぜか歌麿の表情は晴れず…
    <蔦重とは終わりにします>『べらぼう』次回予告。尾張での商談をまとめ、子もできて順風満帆の蔦重。錦絵も評判となるが、なぜか歌麿の表情は晴れず…
  • 4没後10年、高倉健が愛したカレーライスの作り方「週一回は、このカレーがいいな」 共に暮らしたパートナーが明かす【2025編集部セレクション】
    没後10年、高倉健が愛したカレーライスの作り方「週一回は、このカレーがいいな」 共に暮らしたパートナーが明かす【2025編集部セレクション】
  • 5倍賞千恵子 85歳のマダムを演じた映画『TOKYOタクシー』では台詞を読んだ時に鳥肌が。共演の木村拓哉さんと素敵なシーンを撮影しながら、頭をよぎったのは…
    倍賞千恵子 85歳のマダムを演じた映画『TOKYOタクシー』では台詞を読んだ時に鳥肌が。共演の木村拓哉さんと素敵なシーンを撮影しながら、頭をよぎったのは…
  • 6【101歳。ひとり暮らしの心得】人間いつ何があるか分からないのは、家族がいても同じ。未来におびえながら暮らすより、今を精いっぱい楽しむ方がいい
    【101歳。ひとり暮らしの心得】人間いつ何があるか分からないのは、家族がいても同じ。未来におびえながら暮らすより、今を精いっぱい楽しむ方がいい
  • 7倍賞千恵子84歳「北海道と横浜の二拠点生活を続けて30年超。骨密度は年相応だったのに、空港で転倒して大腿骨骨折。でもその翌日…」
    倍賞千恵子84歳「北海道と横浜の二拠点生活を続けて30年超。骨密度は年相応だったのに、空港で転倒して大腿骨骨折。でもその翌日…」
  • 8三浦祐太朗さんが『徹子の部屋』に登場、家族について語る「音楽の世界に進みたいという気持ちを、両親に告げたとき」
    三浦祐太朗さんが『徹子の部屋』に登場、家族について語る「音楽の世界に進みたいという気持ちを、両親に告げたとき」
  • 9汚れた着物の男性はもしや…『ばけばけ』次週予告。「ここは地獄!」と花田旅館を出るヘブン。驚いた表情のトキ。ヘブンが手を取った相手は…
    汚れた着物の男性はもしや…『ばけばけ』次週予告。「ここは地獄!」と花田旅館を出るヘブン。驚いた表情のトキ。ヘブンが手を取った相手は…
  • 10『源氏物語』冒頭に登場の桐壺更衣。激しいいじめで衰弱するも、宮中で亡くなることを許されず…紫式部がその生涯に込めた<物語を貫くテーマ>とは【2025編集部セレクション】
    『源氏物語』冒頭に登場の桐壺更衣。激しいいじめで衰弱するも、宮中で亡くなることを許されず…紫式部がその生涯に込めた<物語を貫くテーマ>とは【2025編集部セレクション】
もっと見る
MOVIE
ー 婦人公論.jp 公式チャンネル ー

編集部おすすめ
もうじきたべられるぼく特設サイト
最新号 好評発売中!
婦人公論最新号表紙
血管、骨、筋肉は70代からでも鍛えられる
最新号 次号予告 バックナンバー
発言小町注目トピ
  • 彼女との結婚が不安
  • 夫から離婚を提案された
  • 「びっくりした」と言うことは、そんなに失礼なことでしょうか?
中央公論新社の本
もうじきたべられるぼく
もうじきたべられるぼく
はせがわゆうじ 作
詳しくみる

インフォメーション

  • 【11月9日〆切】「知ってる? 終末期医療のこと」アンケート
    【11月9日〆切】「知ってる? 終末期医療のこと」アンケート
  • あなたのペット自慢を教えてください!
    あなたのペット自慢を教えてください!
  • 創作家・久保京子×美術家・春陽 写真と書のコラボ作品展「TATANAHARU 2025 日々たおやか」が銀座にて開催
    創作家・久保京子×美術家・春陽 写真と書のコラボ作品展「TATANAHARU 2025 日々たおやか」が銀座にて開催
  • 【編集部より】お詫びと訂正
    【編集部より】お詫びと訂正
  • 【編集部より】公式アドレスの不正利用について
    【編集部より】公式アドレスの不正利用について
インフォメーション一覧
婦人公論
  • 婦人公論とは
  • サイトポリシー/データの収集と利用について
  • 「ff倶楽部」会員規約
  • 「ff倶楽部」よくあるご質問
  • お問い合わせ
  • 広告掲載
婦人公論

CHUOKORON-SHINSHA,INC.All right reserved

ページのトップへ