婦人公論
  • 最新号
  • メルマガ登録
  • アンケート・投稿
  • 定期購読
  • イベント
  • プレゼント
芸能 話題 占い 読者体験手記 お金 健康 美容 人間関係 性愛 介護 教養 連載
  • TOP
  • 話題
  • 滅びの前のシャングリラ/52ヘルツのクジラたち(2021本屋大賞ノミネート)
  • 本屋大賞受賞! 町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』冒頭を一挙掲載!
滅びの前のシャングリラ/52ヘルツのクジラたち(2021本屋大賞ノミネート)
2021年01月21日
教養 話題 寄稿

本屋大賞受賞! 町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』冒頭を一挙掲載!

町田そのこ 作家
Tweet

 

 村中が足を止める。呆気(あっけ)にとられた顔に、「縁もゆかりもない土地に来たわけじゃないよ」と言う。親が長く放置して持て余していたから、譲り受けて引っ越してきたのだ。
「ここには、子どものころに何回か来たことがある。おじいさんたちに可愛がられた覚えがあるから、村中のおじいさんも、その中にいたのかもね」
 みんな優しくしてくれて、わたしは海が見える小さな家が好きだった。
「だから、この土地にはいい印象を持ってたんだけど。そうか、そういうことならおばあさんたちには嫌われちゃうね」
 まあ、どうでもいいけど。肩を竦(すく)めたわたしに対し、村中の方はおろおろしていた。焦る顔に、「おばあちゃんのことを綺麗って褒めてくれたんだから、気にすることないけど」と言う。村中は、ちょっと面白い男かもしれない。
「無口でいたのって、失言が多いから?」
 訊くと、村中はしおしおと頷く。
「いつも、一言多いと怒られる」
 当初抱いていた寡黙な職人像はすっかり崩れきってしまった。ひとの事情に下衆(げす)に踏み込んでくるクソ男というのとも、少し違った。そんなに悪いやつではないのか、いやしかし、ひとというのは分からない。村中の奥にはぞっとするような冷たい一面が潜んでいて、それが何かのきっかけで表面にでてくるということは充分あり得るのだ。
 遠くで雷の音がする。村中が、「早く帰った方がいい」とわたしを促して先を歩きだす。振り返ると、海の向こうに稲光(いなびかり)が見えた。

 

 

 雨が降り始めて、五日が過ぎた。夏の長雨は気温を下げて、驚くほど過ごしやすい。日課の庭の手入れができないので、縁側で昼寝をしたり本を読んだり、雨でくすむ海をぼんやりと眺める日々を過ごしていた。
 今日も、午後から縁側に寝ころび、空を眺めていた。雨雲は厚く、晴れ間はどこにも見えない。暇つぶしに流しているラジオからは、数年前に流行(はや)ったポップスがジャズアレンジされて流れている。
「猫でも、飼おうかなあ」
 ぽつんと呟いてみる。それからすぐに、わたしって弱い人間だなと思う。そういえばこの五日間、誰とも口をきいていないな。その前だって、村中以外とはまともに話してないんだった。などと考えたあとすぐにそんな台詞が出てくるなんて、弱すぎる。
 東京のマンションを引き払う時に、携帯電話も解約した。誰にも―友人や工場の同僚たちには黙って、ひとりで大分に越してきた。実母だけはここにいると知っているけれど、あのひとはわたしと縁が切れたと喜んでいるはずだから、わざわざ来るはずもない。みんな、いずれはわたしのことなど忘れ去ってしまうだろう。
 もう、誰とも関わり合いたくない。そう願ってそれを叶えたのに、温もりを求めている。寂しいと思ってしまう。
『貴瑚(きこ)はひとの温もりがないと生きていけない弱い生き物だよ。寂しさを知る人間は、寂しさを知ってるからこそ、失うことに怯えるものだから』
 美晴(みはる)の声がして、気分が沈む。美晴は、わたしが世界の果てにひとりでいたころを知っている。わたしが、どれだけ温もりを求めていたかも。
 美晴はわたしの入院先までやって来て『だからって、馬鹿だよ』と怒鳴った。こんなことしなくたって、あんたの周りにはたくさんのひとがいるじゃない。あんたはあんな男の愛情に固執しなくたってよかったんだ。あまりにも、周りを軽んじてるんじゃないの。
 ベッドの上で、わたしはわたしへの非難の声を黙って聞いた。確かに今のわたしは孤独ではない。でも、たったひとつの応えなければならないものを傷つけてしまったのだ。こうでもしなければ、わたしは結局は死んでいたはずだ。
 ちり、とお腹の奥が疼いて顔を顰める。Tシャツの上から手をあてて、そっと撫で擦る。

 

  • <
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • >
あわせて読みたい
  • 本屋大賞受賞!町田そのこ、初告白「氷室冴子さんへの憧れ、自分を取り戻すための離婚…すべてが今につながった」
  • 松田青子『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』より一話を特別配信!
Tweet
婦人公論.jpをフォローすると最新記事の情報を受け取れます
  • @fujinkoronさんをフォロー
おすすめ記事
ランキング
  • デイリー
  • ウイークリー
  • 1ひろゆき さらにみんな貧乏になる時代にお金持ちになる方法とは。「若いうちの10万円」は単なる10万円ではない
    ひろゆき さらにみんな貧乏になる時代にお金持ちに...
  • 2本郷和人 なぜ源氏は三代で滅んだのか。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のキーパーソン「源頼朝」のしくじり
    本郷和人 なぜ源氏は三代で滅んだのか。大河ドラマ...
    本郷和人
  • 3石原良純「40で結婚して子どもを持ち〈石原家の流儀は間違い〉と気づいて。こだわりを捨てたらいい人になれた」
    石原良純「40で結婚して子どもを持ち〈石原家の流儀...
    石原良純
  • 4人気整理収納アドバイザー「なぜ一気に片づけると、むしろモノが増えるのか?まずは『ペン立て』『1日5分』から始めよう」
    人気整理収納アドバイザー「なぜ一気に片づけると、...
    阿部静子
  • 5『鎌倉殿の13人』源義経と奥州藤原氏の接近がむしろ頼朝の好機に!?義経自害から奥州合戦、つかの間の「天下落居」まで
    『鎌倉殿の13人』源義経と奥州藤原氏の接近がむしろ...
    中公ムック
  • 1ひろゆき さらにみんな貧乏になる時代にお金持ちになる方法とは。「若いうちの10万円」は単なる10万円ではない
    ひろゆき さらにみんな貧乏になる時代にお金持ちに...
  • 2石原良純「石原家に生まれてよかったことは、天才にいっぱい会う機会があったから。僕の思う《天才》は、労を惜しまない人」
    石原良純「石原家に生まれてよかったことは、天才に...
    石原良純
  • 3石原良純「40で結婚して子どもを持ち〈石原家の流儀は間違い〉と気づいて。こだわりを捨てたらいい人になれた」
    石原良純「40で結婚して子どもを持ち〈石原家の流儀...
    石原良純
  • 4岸惠子さんが『徹子の部屋』に出演「41歳で紙一枚持ち出さずに離婚、51歳で作家デビュー。どんな苦境にあっても自由と孤独を取りこんで生きてきた」〈後編〉
    岸惠子さんが『徹子の部屋』に出演「41歳で紙一枚持...
    岸惠子
  • 5【新連載】江原啓之「人生は回転寿司。後ろを向かない、根に持たない、素直、笑顔…幸せな人には理由がある」
    【新連載】江原啓之「人生は回転寿司。後ろを向かな...
    江原啓之
最新号 好評発売中!
婦人公論最新号表紙
今の自分にちょうどいい 暮らしの整え方
最新号 次号予告 バックナンバー
発言小町注目トピ
  • 友人の態度
  • 値上げは妥当なのでしょうか。
  • 実の親の介護費用がそんなに惜しいか?
中央公論新社の本
老いの福袋
老いの福袋
あっぱれ! ころばぬ先の知恵88
樋口恵子 著
詳しくみる

インフォメーション

  • 「写真好き」のための開かれた写真展に応募しよう
    「写真好き」のための開かれた写真展に応募しよう
  • 素材の上質さを楽しむ大人のためのレザーリュック
    素材の上質さを楽しむ大人のためのレザーリュック
  • メロン由来の保湿成分で肌本来の輝きを取り戻す
    メロン由来の保湿成分で肌本来の輝きを取り戻す
  • 午後もスッキリ集中できる「お昼寝」ピロー
    午後もスッキリ集中できる「お昼寝」ピロー
  • 春の草木花の恵みで髪と肌に潤いを
    春の草木花の恵みで髪と肌に潤いを
  • いつものひと皿を「つける味噌󠄀」で新しい味わいに
    いつものひと皿を「つける味噌󠄀」で新しい味わいに
インフォメーション一覧
Tweets by fujinkoron
婦人公論
  • 婦人公論とは
  • サイトポリシー
  • お問い合わせ
  • 広告掲載
婦人公論

CHUOKORON-SHINSHA,INC.All right reserved

ページのトップへ