婦人公論
  • 最新号
  • アンケート・投稿
  • 定期購読
  • プレゼント
  • 会員登録
  • ログイン
会員限定 ランキング 芸能 読者手記 介護 お金 人間関係 漫画 レシピ 健康 美容 性愛 教養 占い 小説 連載
  • TOP
  • 連載
  • 滅びの前のシャングリラ/52ヘルツのクジラたち(2021本屋大賞ノミネート)
  • 本屋大賞受賞! 町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』冒頭を一挙掲載!
滅びの前のシャングリラ/52ヘルツのクジラたち(2021本屋大賞ノミネート)
2021年01月21日
教養 連載 寄稿

本屋大賞受賞! 町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』冒頭を一挙掲載!

町田そのこ 作家
×

会員限定の機能です。
詳細はこちら

印刷
X
Facebook

 膝を抱え直し、目を閉じようとした時、水を跳ねる足音がゆっくりとこちらに近づいてきているのに気が付いた。思わず身構えると、サーモンピンクのTシャツにデニム姿の子どもが、傘も差さずに歩いてきた。遊んでいて、雨に降られたのだろうか。
「ねえ、あんた。こっちで雨宿りしたら?」
 思わず声をかける。俯(うつむ)いているから顔のつくりが分からないけれど、肩まで伸びた髪や、線の細い体つきで、中学生くらいの女の子だと推察する。
「ねえ、こっち」
 立ち上がり、少し声を大きくしてもう一度声をかける。女の子は雨に焦る様子もなく、ただ濡れている。前髪越しにちらりとわたしを見たから、手招きする。
「おいでよ」
 女の子は足を止め、不思議そうにわたしを見つめた。しかしそれは一瞬のことで、ついと目を逸らしたかと思えば再び歩き始めた。ねえ、と声をかけたけれど、振り返ることもしない。女の子はあっという間に、雨の向こうに消えていった。
「変な子」
 少しくらい反応してくれてもいいのに、と思う。まあ、ここで雨宿りをしていたって、止むのかどうかも怪しいところだけれど。座り直して、再び空を見上げた。この調子じゃわたしもびしょ濡れで帰らなくちゃならないかもしれない。ため息を吐くと、今度は勢いよく走ってくる足音がした。次いで「三島さん!」と大きな声がする。
「三島さん! 三島さん!」
 走りながらわたしの名を叫んでいるのは、どうやら村中らしかった。うるさいし、迷子でもないんだからそんな風に探すのは止めて欲しい。返事をするのも嫌で黙っていたけれど、声はどんどん近づいてくる。
「三島さん! あ、いた!」
 大きな黒い傘を差した村中は、壁と同化できなかったわたしに気付き、駆け寄ってくる。わたしの前でぜいぜいと全身で息をしてから「よかった」と言った。「傘、持ってなかったこと思い出して」
「はあ」
 こめかみから流れているのは、雨ではなさそうだ。村中は「ごめんなさい」と深く頭を下げた。
「俺、いつも物言いが悪くて怒られるんだ。嫌な思いをさせて、ごめんなさい」
 大きな体躯を丸めているのを、下から見上げる。少しだけ村中の右巻きのつむじを眺めていたわたしは、「いいよ」と言った。
「アンさんに慰めてもらったから、もういい」
 村中が「誰」と顔を上げる。そのぽかんとした汗だくの顔に思わず噴きだしそうになった。
「とにかく、怒ってない。その代わり、わたしの素性とか事情を探るようなことはもう訊かないで。不愉快」
「分かった。ばあさんたちにも、絶対に突撃しないようにきつく言うから」
「突撃?」
 村中は手の甲で汗を拭いながら、「この辺りのばあさんたちは、遠慮がないんだ」と言う。だから、集団で囲んで三島さんを質問攻めにするくらいのことはすると思う。それで、必ず口出しまでする。しかもそれを良かれと思ってやるもんだから、性質が悪い。
「うわ、最悪」
 思わず顔を顰(しか)める。想像するだけで過呼吸を起こしてしまいそうだ。村中はうん、と素直に頷いた。
「だから、そんなことをする前にどうにかしようと思ってたんだけど、結局俺もばあさんたちと同じだったな」
 叱られた子どものような情けない顔を見て、村中の暴言は善意からだったのだと、ここでようやく理解した。
「もういいよ。でも、その突撃ってのは絶対に止めさせて」
 力強く村中が頷く。それから、手にしていたもう一本の傘をわたしに差し出した。
「床板の張替えは、全部終わった。家具移動、手伝わせてくれないかな」
 寝室に入れる予定の箪笥やベッドは、廊下に置かれたままだ。ひとりでやろうと思っていたけれど、男手が使えるのなら、頼もうか。少しだけ悩んで、傘を受け取った。
「じゃあ、その分もお金払うからお願い」
「いや、お詫びだから。これは、うちのサービスってことで」
 村中が顔を明るくする。意外と、表情が豊かだ。
「ケンタもいるし、すぐ終わるよ」
 ふたりで歩きだす。しばらく無言で歩いていると、ふと思い出したように村中が口を開いた。
「そうか。あの家のせいかもしれない」
 意味が分からずに顔を向けると、村中は「あの家に住んでいるから、ばあさんたちは三島さんのことを風俗嬢なんて言ったのかもしれない」と言う。
「なんで」
「あの家は、芸者をやっていたばあさんがひとりで住んでたんだ。昔取ったなんとかってやつなのか、長唄を教えていた。垢抜けてて、すっきりとした綺麗なひとだったよ。だから、この辺りの女好きのじいさんどもが競って稽古に通ってさ。うちのじいさんなんか入りびたりで、ばあさんとしょっちゅう喧嘩してた」
 そうだそうだ、と村中は懐かしそうに目を細める。
「きっと、ばあさんたちにはそのイメージが残ってるんだな。三島さんには関係ないのになあ」
 傘をくるくるまわしながら、ふうん、と相槌(あいづち)を打つ。
「そういうことなら、どちらにしてもわたしは風俗嬢って言われてたと思う」
「なんで」
「その芸者だったばあさん、わたしの祖母だもん」

 

  • <
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • >
×

会員限定の機能です。
詳細はこちら

印刷
X
Facebook
ランキング
  • デイリー
  • ウイークリー
  • 1『べらぼう』再登場の伊藤淳史「<死んじゃったね、もう、出ないんだね>という連絡を沢山もらい、早くオンエアを迎えてほしいと…」
    『べらぼう』再登場の伊藤淳史「<死んじゃったね、もう、出ないんだね>という連絡を沢山もらい、早くオンエアを迎えてほしいと…」
  • 2壇蜜さんが『徹子の部屋』に登場。前向きな別居婚を語る「清野とおるさんとの結婚を決めたのは、ひとりで生きる自信がついたから」
    壇蜜さんが『徹子の部屋』に登場。前向きな別居婚を語る「清野とおるさんとの結婚を決めたのは、ひとりで生きる自信がついたから」
  • 3『あんぱん』次週予告。見つめ合うのぶと次郎。次郎が伝えた言葉は…一方<ぼくは戦争が大っ嫌いです>と話す嵩も、広がる戦禍を前に…
    『あんぱん』次週予告。見つめ合うのぶと次郎。次郎が伝えた言葉は…一方<ぼくは戦争が大っ嫌いです>と話す嵩も、広がる戦禍を前に…
  • 4『あんぱん』不気味な笑顔を見せた国防婦人会・餅田民江。よく見ると伝説のドラマで金髪のカツラをかぶっていたあの…気づいた視聴者「振り幅大きすぎでしょ!」
    『あんぱん』不気味な笑顔を見せた国防婦人会・餅田民江。よく見ると伝説のドラマで金髪のカツラをかぶっていたあの…気づいた視聴者「振り幅大きすぎでしょ!」
  • 5明日の『あんぱん』あらすじ。つかの間の楽しい時間を過ごしたのぶと次郎。出発の日、次郎がようやく胸の内を明かし…<ネタバレあり>
    明日の『あんぱん』あらすじ。つかの間の楽しい時間を過ごしたのぶと次郎。出発の日、次郎がようやく胸の内を明かし…<ネタバレあり>
  • 6大神いずみ「次男・瑛介のチームが、春の全国大会優勝!大阪で選手や親たちと過ごした、熱狂の1週間を振り返る」
    大神いずみ「次男・瑛介のチームが、春の全国大会優勝!大阪で選手や親たちと過ごした、熱狂の1週間を振り返る」
  • 7明日の『あんぱん』あらすじ。太平洋戦争が開戦。小麦粉が配給になり朝田パンは休業に。そして健太郎には「赤紙」が…<ネタバレあり>
    明日の『あんぱん』あらすじ。太平洋戦争が開戦。小麦粉が配給になり朝田パンは休業に。そして健太郎には「赤紙」が…<ネタバレあり>
  • 8来週の『あんぱん』あらすじ。朝田家から去っていった草吉。釜次から草吉が乾パン作りを拒否していた理由を聞いたのぶは言葉を失い…<ネタバレあり>
    来週の『あんぱん』あらすじ。朝田家から去っていった草吉。釜次から草吉が乾パン作りを拒否していた理由を聞いたのぶは言葉を失い…<ネタバレあり>
  • 9浅香光代 最後の告白「私の息子は大物政治家との隠し子でした──切ない母の懺悔」
    浅香光代 最後の告白「私の息子は大物政治家との隠し子でした──切ない母の懺悔」
  • 10川上麻衣子「約30年間未着手だった相模原の実家をやっと売却。モノ好き父母が集めに集めたレコードや食器が…」急に《実家じまい》が進んだ意外なワケ
    川上麻衣子「約30年間未着手だった相模原の実家をやっと売却。モノ好き父母が集めに集めたレコードや食器が…」急に《実家じまい》が進んだ意外なワケ
  • 1『アンパンマン』の生みの親、やなせたかし「93歳のいまでも父が大好き。母よりも父が好きだった」明るい弟と違って人前に出るのが苦手だった幼少期
    『アンパンマン』の生みの親、やなせたかし「93歳のいまでも父が大好き。母よりも父が好きだった」明るい弟と違って人前に出るのが苦手だった幼少期
  • 2来週の『あんぱん』あらすじ。朝田家から去っていった草吉。釜次から草吉が乾パン作りを拒否していた理由を聞いたのぶは言葉を失い…<ネタバレあり>
    来週の『あんぱん』あらすじ。朝田家から去っていった草吉。釜次から草吉が乾パン作りを拒否していた理由を聞いたのぶは言葉を失い…<ネタバレあり>
  • 3『あんぱん』次週予告。見つめ合うのぶと次郎。次郎が伝えた言葉は…一方<ぼくは戦争が大っ嫌いです>と話す嵩も、広がる戦禍を前に…
    『あんぱん』次週予告。見つめ合うのぶと次郎。次郎が伝えた言葉は…一方<ぼくは戦争が大っ嫌いです>と話す嵩も、広がる戦禍を前に…
  • 4『あんぱん』不気味な笑顔を見せた国防婦人会・餅田民江。よく見ると伝説のドラマで金髪のカツラをかぶっていたあの…気づいた視聴者「振り幅大きすぎでしょ!」
    『あんぱん』不気味な笑顔を見せた国防婦人会・餅田民江。よく見ると伝説のドラマで金髪のカツラをかぶっていたあの…気づいた視聴者「振り幅大きすぎでしょ!」
  • 5明日の『あんぱん』あらすじ。のぶへの思いを告げられないまま東京に戻った嵩。健太郎に連れ出された銀座で…<ネタバレあり>
    明日の『あんぱん』あらすじ。のぶへの思いを告げられないまま東京に戻った嵩。健太郎に連れ出された銀座で…<ネタバレあり>
  • 6『あんぱん』次週予告。<何もかも遅かった>ぼやく嵩。次郎と顔を合わせて…一方、美しい花嫁衣裳をまとうのぶ。しかし朝田家はなぜかバラバラに…
    『あんぱん』次週予告。<何もかも遅かった>ぼやく嵩。次郎と顔を合わせて…一方、美しい花嫁衣裳をまとうのぶ。しかし朝田家はなぜかバラバラに…
  • 7<試着してすぐ凄さに気が付いた>好評のあまり一部店舗から全店扱いとなったユニクロシー神パンツが期間限定値下げ!「全てが完璧」「転売も…生産力を信じています」
    <試着してすぐ凄さに気が付いた>好評のあまり一部店舗から全店扱いとなったユニクロシー神パンツが期間限定値下げ!「全てが完璧」「転売も…生産力を信じています」
  • 8脳科学者の中野信子さんが『徹子の部屋』に登場。幼少期の悩みを語る「適切に、適度に怒ることは体にもいい」高嶋ちさ子×中野信子
    脳科学者の中野信子さんが『徹子の部屋』に登場。幼少期の悩みを語る「適切に、適度に怒ることは体にもいい」高嶋ちさ子×中野信子
  • 9『あんぱん』阿部サダヲが語るパン職人・屋村草吉。悲しみを救うあんぱん「みんなのことを思ってこっそり作っているんでしょうね」朝田家を出て行ったワケは…
    『あんぱん』阿部サダヲが語るパン職人・屋村草吉。悲しみを救うあんぱん「みんなのことを思ってこっそり作っているんでしょうね」朝田家を出て行ったワケは…
  • 10浅香光代 最後の告白「私の息子は大物政治家との隠し子でした──切ない母の懺悔」
    浅香光代 最後の告白「私の息子は大物政治家との隠し子でした──切ない母の懺悔」
もっと見る
MOVIE
ー 婦人公論.jp 公式チャンネル ー

編集部おすすめ
もうじきたべられるぼく特設サイト
最新号 好評発売中!
婦人公論最新号表紙
おひとり様でも家族がいても人生後半を元気にするつながる力
最新号 次号予告 バックナンバー
発言小町注目トピ
  • 指定校推薦取り消しについて
  • 孫が生まれてから義母がうざいです
  • エリート過ぎる夫との生活で鬱になりそうです。
中央公論新社の本
疼くひと
疼くひと
松井久子 著
詳しくみる

インフォメーション

  • 半分以上が露天風呂!“客室付き露天風呂”を独占「雲仙おひとり湯ごもり滞在」
    半分以上が露天風呂!“客室付き露天風呂”を独占「雲仙おひとり湯ごもり滞在」
  • ホテル雅叙園東京「時を旅する福ねこ at 百段階段」
    ホテル雅叙園東京「時を旅する福ねこ at 百段階段」
  • 【編集部より】お詫びと訂正
    【編集部より】お詫びと訂正
  • 【編集部より】公式アドレスの不正利用について
    【編集部より】公式アドレスの不正利用について
インフォメーション一覧
婦人公論
  • 婦人公論とは
  • サイトポリシー/データの収集と利用について
  • 「ff倶楽部」会員規約
  • 「ff倶楽部」よくあるご質問
  • お問い合わせ
  • 広告掲載
婦人公論

CHUOKORON-SHINSHA,INC.All right reserved

ページのトップへ