「これねえ、刺されたの。包丁で、さくっと」
殺してやると包丁を持って暴れたのはわたし。でもそれはあのひとの体にかすり傷ひとつ負わすことなく、わたしのお腹に沈んだ。
「ちょっと、いろいろあってさ。それよりさ、お風呂入ろう」
わたしより少し背の低い女の子は、近づくとツンと臭った。髪も、脂が浮いている。
「せっかく可愛い顔をしているのに、手をかけないなんて罪だよ、罪」
一緒にお風呂に入って、徹底的に洗ってやろう。服に手をかけると女の子は抵抗するように身を捩(よじ)らせたけど、わたしの傷を気遣っているのか本気でないのが分かる。Tシャツを力任せに剥(は)いだわたしは、絶句した。
肋骨の浮いた痩せた体には、模様のように痣(あざ)が散っていた。体を隠すように身を捩るが、その背中にも痣がある。
さっき、袖の奥の肌に痣を見た気がしたけれど、やはり見間違いじゃなかったのだ。それにしても、この数はなんだ。一度や二度の暴力でつくものじゃない。これは常に、痛みに晒(さら)されている体ではないか。
「あんた……やっぱ虐待されてる、よね?」
思わず訊いて、しまったとすぐに悔やむ。こんな訊き方でいいわけがない。案の定、顔色がさっと変わったかと思えば、ドアを開けて逃げるように出て行った。玄関の引き戸が乱暴に開閉された音を聞く。慌てて追いかけようとしたけれど、自分が下着姿だということに気付き、「くそ」と舌打ちする。手にしていたものを床に叩きつけようとして、しかしそれはあの子のTシャツだったことに気付く。握りしめたままだったのだ。手にしているだけで臭うシャツを眺めて、呟く。
「しかも、男だったか……」
骨ばった薄い体は、少年のものだった。綺麗な顔立ちと髪のせいで、見誤(みあやま)っていた。わたしに観察力がないのを、すっかり忘れていた。
しかし、全く手をかけられていない服装に、あの全身の痣。間違いなく、あの子どもは虐待を受けている。どうしたらいいのだろう。こういう時は、通報する? 温もりの残る服に視線を落として考える。警察の介入によって救われる子どもは、たくさんいるだろう。けれど、介入によってもっと酷い目に遭う場合があることも、わたしは知っている。それに、わたしはあの子の情報を何ひとつ持っていない。
しとしとと、雨が降る。わたしが招き入れたものは、なんだろう。手にしたものを見つめた。
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