「実力がないのに自分を高く見せたり、他人の評価を求めすぎたりせず、自分がやるべきことを信じて続けるしかないんじゃないかしら。人生はそんなに簡単にはうまくいかないものですよ。」

神様は私を見捨てたりしない

ーー幼少期から母の指導のもと研鑽を積み、やがてピアノの才能を認められたフジコさん。28歳でドイツに留学するも、そこでも東洋人として差別を受けるなどして、辛酸をなめた。さらに指揮者レナード・バーンスタインの支援で実現したウィーンでのリサイタルの直前に、風邪をこじらせて聴覚を失う悲劇に見舞われる。それでも諦めずピアノを弾き続けた。


いよいよピアニストとしてのビッグチャンスを掴もうという時に、一夜にして耳が聞こえなくなってしまった。当時はピアニストとして成功する道は断たれた、と運命を恨んだわ。

2年間はまったく聴力が戻らなかった。それでも少しずつ、自分のためだけにはピアノを弾き続けていたし、ピアノを教える仕事でなんとか生きてきた。だって、母はそのために私に教えてくれたんだもの。ピアノさえあれば世界中どこにいたって、教えて暮らしていけるのだから。厳しい人だったけれど、母には感謝しています。

ただ、自分に才能があるかどうかなんて、40歳を過ぎるまではわからなかったわね。昔はCDなんてないし、たまに流れてくるラジオの音楽だってそれほど音質が良くはないでしょう。だから比べようがなくて。

でもウィーンで一人ピアノを弾き続けていたある日、近所の大学教授の奥さんが、私のピアノを聴いて「一体誰が毎日、あの神様のようなピアノを弾いているの?」って言ってくれたんですって。それを聞いた時は、すごく嬉しかったわね。勇気がもらえた。「わかってくれる人はわかってくれるんだ」って。それにやっぱり、ヨーロッパで何人かの音楽の大家から認めてもらった経験が、励みにもなっていた。神様は私を見捨てたりはしないって思い続けたわ。

今、私のところに、助けになってほしいってたくさんの若い音楽家がやってくる。でもチケットが売れなければ、私がいくら推薦しても撥ねのけられてしまう。厳しい世界ですよね。

実力がないのに自分を高く見せたり、他人の評価を求めすぎたりせず、自分がやるべきことを信じて続けるしかないんじゃないかしら。人生はそんなに簡単にはうまくいかないものですよ。私だって、60代になってからのデビューですからね。

だけど私は、今みたいに有名になりたいとは思っていなかった。元来恥ずかしがり屋で、ビデオを撮られたりするのが恥ずかしくて仕方がない。変な格好で演奏していないか、みっともなくないか、いつも気にしているの。今でもそう。新しい衣装を着て舞台に立つ時なんか、クマみたいに見えてないかしらって心配しちゃう。もちろん、たくさんの観客が来てくださるのは何よりも嬉しいことですけれどね。