歌舞伎座の楽屋で。『曽根崎心中』のお初に扮する

「坂田藤十郎」復活の意味

坂田藤十郎を襲名したい、と意識するようになったのは、81年に近松座を結成したあたりでしょうか。その10年前、イギリスでローレンス・オリヴィエに会ったとき、に「日本にも、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのように、一人の劇作家の作品を上演するための劇団はあるのか」と問われたんです。

考えてみれば、日本には劇聖と言われる近松門左衛門ですら、そういう劇団がない。そこで、長らく忘れられていた演目も含め、近松作品を復活上演するための近松座を結成したわけです。

もうひとつ、江戸歌舞伎に負けないくらい、上方歌舞伎が栄えないことには、歌舞伎のほんとうの隆盛はありえない、とも感じていました。だから、近松、そして坂田藤十郎の存在を大事にしなければ、との思いをずっと抱いていたのです。

その81年頃、藤十郎を襲名したいと口にしたこともあるのですが、当時の松竹の永山武臣会長から「歌舞伎の家はだいたい親の名前を継ぐものだ。まず、鴈治郎を継いでから」と言われましてね。その鴈治郎の名を継いだのが60歳近かったので、果たして藤十郎を継ぐことがあるのかな、とも思いましたが、歌舞伎400年のイベントの最後に「藤十郎襲名を」と言われたときは、嬉しかったですね。

◆坂田藤十郎さん88年の軌跡

1931年12月 二代目中村鴈治郎の長男として京都に生まれる
1941年10月 大阪・角座『山姥』の金時で二代目中村扇雀を名乗り、初舞台
1953年8月 東京・新橋演舞場で『曽根崎心中』のお初を初演。「扇雀ブーム」を巻き起こす。
       生涯で上演1400回を超える当たり役となった
1990年11月 三代目中村鴈治郎を襲名
1994年6月  重要無形文化財保持者(人間国宝)に
2005年11月 231年ぶりに四代目坂田藤十郎を襲名
2017年12月 京都・南座の『祇園祭礼信仰記 金閣寺』の慶寿院尼役が最後の舞台となる