私が死んだらアンタを守ってあげる

若いころは《電信柱》とも言われた、と自慢していた長身の姑の手のひらは私より一回りも大きかった。姑の柏手は大きな音でよく響く。私を呼ぶ時にも柏手を打った。

「おばあちゃん、私に用事があるのかしら?」と私が不安な声をあげると、夫が思い出した。

「そういえば、こんなこともあったな……わしらが晩ごはんを食べていた時、急に『早く立て!』って。おふくろは箸を置いて立ち上がると、頭を深々と下げたんだった。お前は一緒に立ったけど、酒を飲んで座ったままのわしに、『神様が来ているのだから早く立て!』って。思わずわしは、『いい加減にしろ!』と怒鳴ってしまったけど」

認知症の姑の話の中には、何度も神様が登場してくる。そのたびに、神棚に向かって柏手を打っていた。ということは、やはりあの音は姑が手を叩く音? でも、そんなバカなことがあるわけがないだろう、と思い直した。

4年近くの介護生活を終えて、肩の力が抜けたのだろうか。近ごろ私は体力の衰えをひしひしと感じ始めていた。体がやけに重たいのだ。

さらに、鏡の前に立った自分の姿を見て驚いた。すっかりばあさんの顔に変わっており、姑のように目じりとに深い皺が刻まれ、まるで80代の顔つきだ。

毎晩毎晩、手を叩く音がする。仮に姑の柏手の音だとしても、怖いという気はしなかった。姑が私を頼ってくれていたことには確信があったし、「私が死んだらアンタを守ってあげるからな」とも言ってくれた姑が、私に意地悪をするはずがないからだ。

音がするのは、仏間と神棚がある台所の2ヵ所だった。ある晩、仏間から台所に続く廊下を赤いボールのような塊がスーッと移っていくのが、影になって白い障子に映った。アッと息をのんだが、一瞬の出来事である。

「赤いものが移動した」という私の声で目を覚ました息子と、台所から響くあの柏手の音をまた聞いた。