4年間の介護の日々は
「冗談じゃないわよ。本当におばあちゃんが私について来たかもしれないのよ」
実家で起きたことを話すと、夫の顔から笑みが消えた。あれは姑に違いない。きっと私に何かを言いに来たのだ。
私は、介護を4年近くひとりで頑張ったと思っていた。しかし考えてみれば、姑が不自由な体を預けて、尿や便の始末を頼むことは、嫁であるこの私をすべて許し、委ねることではなかっただろうか。《してあげていた》とは、なんと傲慢な考え方なのだろう。私は姑に許されていたのだ。
「そうだったのか。ありがとう」
呟くと、涙がどんどん溢れてきて、嗚咽が漏れた。体の中に溜まった大量の澱みが一気に噴出したかのようだった。
ぐちゃぐちゃになった顔を洗面所で洗い、鏡を見て驚いた。
「あっ」
顔が以前と同じに戻っていたのだ。そして背中に感じていた重たい何かがフッと抜けた。
「おばあちゃん……」
その日の夜から、ぴたりと柏手の音は止まった。白い光はきっと姑だったと、私は信じている。息子以外はおそらく誰も信じてくれないけれど。
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