イラスト:岡田里
突然、目の前に現れた不可思議な存在。何かを訴えたかったのか、それとも――。信じてはもらえないかもしれないけれど、かすかに、いやはっきりと感じた気配や音、姿は月日が流れても記憶にとどまっている、そんな体験を読者が綴ります(「読者体験手記」より)

自分が死んだあとの話を楽しそうにして

あれは、2年前の夏だった。そろそろ夕食の支度を始めようかと思いながら、私はリビングでパソコンに向かい、調べものをしていた。その時、ガチャリと玄関のドアが開く音がした。大学生の娘が帰って来たのだろうか。でも、今日はバイトで帰りが遅いはず。夫も残業。とりあえず「おかえりー」と声をかけたが返事がない。

空耳だったのかと思い、リビングを出て廊下を見た。トイレのドアあたりから、誰かが見つめているような気配を感じる。けれど、誰もいない。首をかしげつつリビングに戻り、夕食を作り始めるうち、そんなことは忘れてしまった。

今思えば、あの時、父は私に別れを告げに来てくれたのだろうか。父が急逝したのは、2日後のことだった。

その年の元日の朝、遠方に暮らす実家の母から電話がかかってきた。久しぶりに聞く元気な声に安堵していると、父が話したいから電話を代わると言う。本当に珍しいことだった。父はほとんど耳が聞こえない。相手と会話が成立しにくいのを気にして、電話に出たがらなかったからだ。

「話しておきたいことがある。春かお盆に帰って来てほしい」

父は私に言った。それを夫に話すと、「お義父さんがそんなことを言うのはよほどのことだろう」と言うので、4月の初めに家族で帰省することになった。

兄や姉の一家も集って総勢10人ほど。当時、私たち夫婦は休みのとりづらい自営業だったため、こうしてきょうだいが揃うのは本当に久しぶりのことだった。終始満面の笑みの父は上機嫌で、お酒もすすんでいる。

そして宴も中盤、父が「聞いてほしいことがある」と切り出した。それは自分が死んだあとの話で、「A葬儀社に一任し、お金も払ってある。位牌や戒名、遺影も託してあるから心配ない」と言うのだ。まるで、自慢でもするかのように何度も同じ話をし、このうえなく楽しそうだった。

しまいには、「遺影用の写真を見せる」と言い出す始末。さすがにそれは……。全員で「縁起でもないから」と拒否した。兄姉が口々に、「準備万全な人ほど死なんわ。お父さんは持病もないし、男性長寿日本一記録を更新するよ」と大笑いしたのだが、まさか、それから5ヵ月もしないうちに現実になろうとは、この時には想像もしていなかった。