でも、私には到底真似できない。義母は賢い主婦の手本なのかもしれないが、そこまでしてお金を残すことが偉いことなのだろうか。いや、今の私はそれどころではなく、すっからかんで苦しんでいるのだけれど……。

夫は夫で、つましい母親に育てられ、欲しいものは自分で稼いで手に入れてきた人だから、幼少期の欲望を大人になってから埋めているのかもしれない。私や家族に対してケチな割には、「これがオレの夢だったんだ」と言って、車にはお金を惜しまない。一番多いときには同時に3台も持っていた。新車を買って、2年経つと車検を通さずに買い換えたり。維持費だってかかるし、どう考えても、庶民には行きすぎた贅沢である。

 

「お金は死んだら持っていけない」は口癖なのに

ゴルフ仲間や夫の友人たちの話を聞くと、みんな立派な家と蓄えを持ち、余裕のある生活をしているようだ。誰それは息子の結婚式に何百万出したとか、何とかという車を買ったとか、友人についても夫が語るのはお金のからむ話ばかり。経済力で人の価値を計ってるのか、と言いたくもなる。しかし、「類は友を呼ぶ」ということらしく、夫の友人たちはお金があるのにケチで、奥さんに嫌われているらしい。そりゃそうだよ、と私は内心思っている。

夫も口では、「お金は死んだら持っていけないのだから、使ったほうがいい」と言う。けれど、それは自分の浪費に対してだけ。私に対しては、持っているのにくれない、というのがつらい。私が必要だと思い、夫に窮地を訴えても、聞く耳を持たないのだ。妻が苦しんでいるのも理解せず、なんてひどい人だと思う。

これから先もカツカツの懐具合で、綱渡りの生活を続けていくのだろうか。医療費がかかるのがこわいので健康診断も受けず、歯科医にも行きたいが我慢している。私が強く権利を主張できないのは、働いたことがなく、収入を夫に頼り切りだったからかもしれない。

「オレが働いて得た退職金だ」「オレが払ってきた年金だ」と言われるとぐうの音も出ないのだ。外に出かけると欲しいものが目につくので、なるべく家に籠もるようになった。ものを買わず、友人づきあいもやめ、じっと家のなかに身を潜め、事故などないようにひっそりと静かな余生を送るしかないのだろう。


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