「受難華」菊池寛 著(中公文庫)

恋愛は短し、結婚は長し

恋愛はすべてを忘れさせる。相手の人格が軽薄であり、相手が生活者としてどんなに無力であるかさえ忘れさせる。そうした恍惚境は人生において、最も得難き瞬間かも知れない。しかし、人生の現実の前にはたちまち粉砕されるそうした恍惚境に価値があるとすれば、阿片吸引者の幸福にだって、価値があるだろう。

恋愛がもっと明確な理智から発して、お互いの人格的美しさを認識する事から発するのでなければ、恋愛は人生においてはむしろ有害である。恋愛が明確な理智を伴う時、それはもう恋愛でないかもしれない。無ければなくってもいいではないか。恋愛などは人生に無くてもいいもんだ。

センチメンタル・ラブ、それが若い男女の人生に対する認識を、どのくらい邪魔している事か。恋愛は男女を駆って生殖を遂げしむる為の、一つの自然のトリックだと言う。そういう考えは人間本位でないから嫌だが、しかし恋愛が人生をよりよくする為に、どれだけ役に立っているだろう。恋愛の熱に侵されてやった一日の過ちを、人は百日も千日もの真面目な労働で償っている場合が多いではないか。

しかも恋愛に一番悪い事は、永く続かない事だ。いかに愛しあっている男女でも、三年同じ緊張を持ち続ける事は難しい。いわんや十年をや。一生をや。

セント・ジョン・ハンキンという戯曲家は、「ロマンチックに結婚をやってはならない。それは余りに長く続き過ぎる」と言っている。恋愛は短し、結婚は長しだ。容子がいいとか、ヴァイオリンが巧いとか、瞳が美しいとか、そういう事から恋愛し合ってさて、一生涯の結婚生活に入るのは余りに恐ろしくはないかしら。

恋愛は人を盲目にする。盲目になった瞬間に一生の同伴者を決めるという事は、余りに軽率な事ではないか。