今日3月6日は作家・菊池寛の命日。
大正から昭和にかけて多くの小説や戯曲を書いた人気作家で、文藝春秋の創刊や芥川賞・直木賞を創設した人物としても知られます。その菊池寛が大正末期、女性にとって結婚が何より重大事であった時代に書いたのが『受難華(じゅなんげ)』。女学校の仲良し三人組の恋愛と結婚に、思いもよらぬ試練が次々と降りかかるさまを描いた長篇小説です。1925(大正14)年3月号から1926年12月号に雑誌『婦女界』に連載され、女性たちの圧倒的な支持を得ました。女性読者のための小説も多く残した菊池寛ですが、その恋愛観は、どのようなものだったのでしょうか――。1924年(大正13)8月号の『婦人公論』に彼が寄稿した「恋愛雑感」をここでご紹介します。

「恋愛は熱病の如し、勉めて排斥すべし」

この頃自分は、恋愛を重視したり、神聖視したりする事に対する反感を、前よりももっと深く感ずる。かつて『婦人公論』の問に答えて「恋愛は熱病の如し、勉めて排斥すべし」と言ったが、そうした感じは自分にいよいよ深くなってゆく。

その時自分と相並んで答えていた人が、――多分博士か何かであったように記憶しているが――恋愛は人生のnecessary evilだと言っておられた。自分の熱病説を別な言葉で言っておられた訳で、心強く思ったが、まことに恋愛は、人生の避け難き凶事だ。止むを得ない不幸事だ。

そう言えば恋愛至上主義者や、恋愛理想論が恋愛の持っているいろいろな美点を挙げるかもしれない。だが、恋愛は熱の如くそれ自身では何らの悪ではないかもしれない。また、何らの善でもない。ただ人は恋愛という熱に浮かされて、少しの善を為し得る以上に大いなる過ち、悪事をなすのだ。私は恋愛を熱病視し多くの青年男女に、それに罹らぬように希望するのはその為だ。

恋愛至上主義者は、恋愛が人生の最も重要なパートだと言う、恋愛が人生で最も美しきもの、最も貴きものだというような事を言う。もしそうだとするならば、恋愛し得ざる男女は何によって生きてゆけばいいのだ。現代の多くの男女は、恋愛し得る程、幸福な者は少ない。恋愛するという以上恋する事と、恋せられる事の二つを含んでいる。恋する事だって、容易ではない。しかし大抵の人は恋し得られるかもしれない。しかし恋せられ愛せられる幸福を持っている者は極めて少数だ。