地震発生直後、伸一さんは小学校に下の子ども2人を迎えに行き、長女と母がいた自宅の離れに送り届け、親戚宅の様子を見に出掛けた。その後まもなく、自宅と離れを津波が襲う。姉妹と一緒にいたはずの長男・侃太くん(当時10歳)の遺体も数日後に発見された。
「私はショック状態で、真っ白に。目の前で人が泣くのを不思議な気持ちで眺めていたり、心が平らのまま、感情がわかないんです。ただ、怒りのような気持ちだけはありました。夫に対して、なんで子どもたちを助けてくれなかったの!って。そして自分自身にも、子どもたちが亡くなったのに、生き残るなんて、と」
なげやりに命をながらえる日々
目を離したら、命を絶ってしまうかもしれない。心配した周囲の人たちが、夫妻に仕事をするよう勧めた。その声に押されるがまま、綾子さんは避難所暮らしをしながら約1ヵ月後に職場復帰。震災後の病院は混乱を極め、「ロボットのように」無心で働いた。食事も作らず、夜はクタクタになって寝る、そんななげやりな日々。
一方、木工職人の伸一さんには、石巻で犠牲になったアメリカ人英語教師、テイラーさんの両親から、知り合いを通じて連絡が入った。娘が好きだった本を被災地の学校に寄付したい。その本棚を伸一さんに作ってほしいというのだ。「そんな気になれない」と一度は断ったものの、伸一さんは自分の子どもたちも全員、テイラーさんに教わっていたことを知り、引き受けることにした。
さらに、県外の支援団体から「自宅跡を人が集まる場所にしては」と勧められ、支援を受けコンテナハウスを設置。子どもたちが遊べる大型遊具も手作りし、イベントを開催するなど、伸一さんは支援団体が募ってくれた寄付を活用し、地域を元気づける活動を始めた。