ボケとツッコミを入れ替えたら

やすよ 1992年にデビューしたのはいいけど、実は全然楽しくなくて、「いつやめようか」とずっと言うてた。漫才してて「何か無理がある」という違和感がずっとあってん。ある日、出番が終わって舞台の袖に戻ってきた時、会社の人に「妹のほうがツッコミじゃない? なんでボケとツッコミを入れ替えないの?」と言われたんよね。その発想はまったくなかったからビックリしたわ。

ともこ 4歳と8歳の時からお互いに「私はボケ」「私はツッコミ」と思い込んでたから。

やすよ ネタを全部逆転させてやってみたら、めちゃくちゃラクやった。お姉ちゃんも「黙ってなあかんストレスから解放されたぁ」と。

ともこ しゃべりたいのに「私はツッコミやから」と我慢しててん。

やすよ 私は私で、ボケるたびに顔が赤くなるし。

ともこ 「あんた、あかんわ。ボケがバレるやん」と。(笑)

やすよ そんなふうにちぐはぐやから、全然楽しくなかったんやね。

ともこ ボケとツッコミを入れ替えたら、今度は台本もそれぞれ自分の言葉に書き換えて。やっとお互いの持ち味を出せるようになった。それでようやく楽しくなったんよね。でも、その後またしんどい時期がきて。

やすよ 漫才以外にも仕事がいっぱいくるようになってね。ロケに行って場所や人を紹介したり、番組にひとりだけ呼ばれたり。「これ、お笑い芸人の仕事じゃないよね?」ということがいっぱいあった。

ともこ やすよはとにかく漫才をやりたい気持ちが強いから。私はいろいろやってみたらいいやんという気持ちもあって、会社から「やっておいたほうがいいよ」と言われた仕事はひとりで受けたりしてた。お芝居にも出たし。

やすよ お姉ちゃんには向いてると思ってたから全面的に応援してたよ。

ともこ でもドラマで「妹さんも一話だけ出てもらえますか」って話がきた時、めっちゃ怒られた。「あんたが出るから、私まで出なあかんやん!」って。

やすよ 自分には向いてないとずっと思ってたから。

ともこ 私が楽しくやってる姿を見たら、やすよも楽しくなるかなと思ったんやけどね。そんな感じで、20代はそれなりに楽しくやってはいたけど、手探りの時代でもあった。そのうち、私が「この生活が続いたら、もたない」と思うようになって。

やすよ 私が結婚した頃かな。

海原やすよさん