小学校高学年で「普通の人になりたい」
やすよ デビューしてもう27年も過ぎたんやね。コンビを組んだのはもっと早かったけど。
ともこ やすよが4歳、私が8歳の時やから。おばあちゃん(漫才師の故・海原小浜さん)の事務所の社長さんが、「姉妹でやらせたら面白いんちゃうか」と。
やすよ 毎週水曜日がお稽古の日やったよね。習い事のひとつみたいな感じやったけど、私はずっと嫌やった。帰りにアイスクリームを買ってもらうのが楽しみで通ってたようなもんやったわ。
ともこ 私は漫才をしたいというより、ただ楽しかったなあ。
やすよ まだ字が読めなかったから、社長さんが教えてくれるのを口真似して。だからちょっと「おじちゃん」みたいな口調になる。
ともこ 「違うがな〜」とか。(笑)
やすよ お笑いは特に好きじゃなかったし、お笑い番組も観た記憶がないよね。小学校高学年の頃は、「普通の人になりたい」と社長に言うてたもん。中学時代には「もうやりたくない」とお稽古もやめてしまった。
ともこ 両親もお笑いの世界にいたせいか、よく「お笑いの家系」みたいに言われるけど、私らが物心ついた頃には、おばあちゃんは司会とかテレビショッピングのはしりみたいなことをしていて、「お笑い芸人」のイメージはなかった。お母さん(マジシャンのワンダーのり子さん)も派手なことを嫌う人やから、むしろ一般の家より堅かったかも。
やすよ それやのになぜか、上方漫才の大御所、中田ボタン師匠に弟子入りすることに。カウス・ボタンのお2人がかっこよかったから。(笑)
ともこ 言い出したのはやすよのほう。それでボタン師匠と仲のいいお父さん(漫才師の海原かけるさん)から話をしてもらったら、「かめへんで」と言ってくれはった。
やすよ 弟子の修業を2年間……。
ともこ いや、あんたはやってへんやん!(笑) まだ高校生やったから、土日とか学校が休みの日だけ。私は毎朝、師匠の家に行って、衣装の準備をして、コーヒーとお水を用意して……。やすよが言い出したのに、実際に弟子の修業をしたのは私やで。