婚姻届の提出は、男性にとって「妻が産む子どもは自分の子どもである」と宣言することに等しい。そして妻と子に財産の相続権を与え、長男には家を継ぐ責任感を植えつける。女性からすると「あなたの子どもなのだから養育してね」ということか。

しかし世の中を見ると、子どもを養育しない父親は大勢いる。男性がお金持ちなら、死別による財産相続や離婚による慰謝料・養育費の支払いなどがあるだろうが、Aも私も財産などまったくない。届を出せば世間から偏見や圧力を受けることもなく、精神的な安定を得られるのかもしれない。でも、当時の私は、そういった安定よりも改姓しないことのほうが何より大切だった。

 

経済的自立は頓挫するも、母としての幸せを味わう

出生届事件で、私は結婚を検討するどころか、「こうなったらずっと別姓を続けるぞ」という意志が強くなってしまった。「紙切れ一枚で父親であると認めてもらわなくても、Aが父親であることは確かなのだから」と私は平然としていたが、Aとしては、子どもが私の姓になったことで父親ながらに寂しいものがあったのかもしれない。

Aとは「2人とも働き、家事・育児は分担する」という条件で同居していたが、出産後、家事・育児はどうしても私の負担が大きくなっていった。当時の男性は、家事分担に対する意識が今よりずっと低かったのだ。高校では女子が家庭科の授業を受けているとき、男子は数学の授業を受けていたほどだ。

家事スキルの低いAとの平等な分担は無理だとわかり、私は学習塾の仕事を週4日に縮小。Aは会社勤務なので、私の収入を100万円以下に抑えると扶養控除を受けられるし社会保険にも入れるからと、会社に私を「未届けの妻」として報告した。

私の経済的自立は子育てとともに頓挫したが、子どもを産んで育ててみると、自分でも信じられないほど可愛かったし、Aに対してもかけがえのないパートナーとしての愛情が溢れた。婚姻届は出さなかったものの、実情は普通の夫婦とほとんど変わらず、おおむね幸せな月日は過ぎていく。