(イラスト:おおの麻里)

私はAと言い争いをしてわかり合えないと思ったとき、「じゃあ、別れましょう」などと口走ったことを後悔した。そんなことも一因かもしれないが、結局のところ10年以上の同居生活に飽き飽きし、会社という身近な場所で「好き」と言ってくれる女性が現れて舞い上がってしまったのだろう。

目の前のことで精いっぱいの私と、不倫する時間があるA。見ている世界の差を痛感する。生活では深く結びついていても、心の中身はまったく違っていたのだと。

「だから結婚しておけばよかったのに」と言う人もいたが、結婚していても不倫する人はする。形式に関係なく私との暮らしを大切にしてほしかったが、その願いは崩れ去った。「幸せがいつまでも続きますように」と願い、神様の前で誓っても、「私たちは夫婦として一生助け合います」と紙切れを役所に提出しても、理性が吹っ飛んだ男女の本能を抑えることはできないのだ。

だからこそ、女性はあっさりと男の姓になんか変えないで、男と一体になったつもりになんかならないで、一生経済的に自立して生きていくのが正しいのだと再確認した。しかし、子育てをしながらの経済的自立は大変な困難を伴う。

子どもがまだ小学生ということもあって、Aは1年ほどで不倫を清算。体調を崩していた私も、今は別れないほうがいいと判断し、同居を続けた。私は夫婦別姓を掲げながら、実際は経済面・生活面の理由から夫の不倫に耐え忍ぶ、普通の妻でしかなかったのだ。

さほど幸せではない年月が10年以上過ぎて、下の子どもが成人した年、別の女性との不倫が発覚。同居生活に終止符を打つことになった。その頃にはAは自ら立ち上げた事業に失敗して借金だけが残っていたし、私も慰謝料などは請求しなかったので、別離に際しての面倒なことは、精神的なやり切れなさ以外、何もなかった。

Aが不倫相手の家から帰らなくなって、私の意思とは無関係に自然消滅。男女の関係は、双方の合意から始まり、片方の意思のみで終わるものなのだと思い知った。