(イラスト:おおの麻里)

パートナーの姓で呼ばれたら精神的な安定は得られる?

娘が高校生の頃、私と2人で夫婦別姓に関する講演会に呼ばれたことがあった。聴講者20名程度の小さな集会だったが、世界各国における夫婦別姓制度の話や、自身の体験談などを話した。

娘は聴講者の一人から「母親について、また別姓についてどう思うか」と質問され、「母は仕事と家事で忙しくしているけれど、生き生きしていて大好きです。両親が別姓だからといって、困ることもありませんでした」と応えた。嬉しくて涙が出そうになった。

子どもたちは現在、普通に結婚して、普通の夫婦生活を送っている。孫も生まれた。息子は夫婦別姓に憧れがあったようだが、彼女にあっさり却下されて諦めたようだ。娘は「自分の姓にそこまでこだわらない」と言って、夫の名字に改姓した。普通はそうするのだろうな。夫婦別姓のために結婚しないというのは、やっぱり日本ではかなり稀な選択だったのか。

しかし、世界の趨勢は日本とはかけ離れている。世界各国では次々に夫婦別姓が法制化され、夫婦同姓を法で規定している国は日本だけになってしまった。日本は女性問題については世界から取り残されている。いつになったら「選択的夫婦別姓」というささやかな女性の権利が認められるのだろうか。国連の女子差別撤廃委員会からたびたび是正勧告を受けているにもかかわらず、国会での議論は「だったら結婚しなくていい」と野次が飛ぶような低レベルの次元に留まっている。