「高田さんは、笑芸を見届けるために生まれてきたような人だし。そう思うと、みんななるべくしていまの仕事を続けてるんだなあ。」(清水さん)

中野「今日はこんな話ばかりでよかったの?(笑)」

高田 いまと違って、昔はどこのうちも複雑な事情があったと思うよ。親父なんて別宅が5軒あったもん。見ると、「高田」って表札がちゃんとかかってるんだよね。

清水 へー、見上げたもんですね。

高田 まあ、そもそも親父を家のなかであまり見かけたことがなかったんだよな。給料日になると、家の前にハイヤーが停まって、運転手さんから「坊ちゃん、今日は柳橋です」とか「神楽坂です」とか言われるわけよ。お座敷で待ってると、きれいな芸者衆のおねえさんがバナナ食わしてくれたりして。すると親父が社員引き連れてやってきて、「お母さんに持っていきなさい」って封筒をくれるんだよ。

中野 生活費ってことね。

高田 銀行振込がない時代だからさ。親父も、俺が会いに行くほうが嬉しそうだったし、本宅のお袋もへっちゃらだったな。2号さん、3号さんなんて言葉、いまは言えなくなっちゃったけど、昔は家まで構えて面倒をみたものよ。

中野 女同士、分をわきまえていたんだろうな……。だけど清水さん、これは局地的な話だと思うよ。高田さんちは社長さんだからできるけど、サラリーマンのうちの父にはとても無理。おかげで清廉潔白。ところでさ、今日はこんな話ばかりでよかったの?(笑)