『母』(著:青木さやか/中央公論新社)
母から逃げるように東京へ出て芸人に。タバコとパチンコにおぼれた日々、芸能界の先輩や大切な娘の存在。青木さんが人生を生き直す軌跡を綴った1冊

自己中心的な母に支配されて

青木 小学生だった頃の話なのですが、ある日、友達のお母さんが母に夫婦喧嘩の相談をしていて。それをそばで聞いていた私が「昨日、お父さんとお母さんも喧嘩してたよね」と言ったんです。家に帰ると母は「なぜあんな話をしたの? みっともない!」と鬼のような形相で詰め寄ってきた。外面を気にする母には、家の恥部を外に出されるのが許せなかったようで……。子ども心に理不尽だなと。

村山 私もかなり幼いうちから、母のことを「この人は病的に自己中心的な人なのだ」と冷めた目で見ていました。いい成績を取ると「さすがお母ちゃんの子や」と褒めてくれるのに、何かヘマをすると「いったい誰に似たんや」と突き放す。平手が飛んでくることもあって、本当に怖かった。あれは教育ではなく、調教だったと思うのです。

青木 うちの母の場合は、教育と洗脳の線引きが曖昧でした。私は母から「今日は雨だから嫌だね」とか、「テレビに出るような人は気の毒だね」といった具合に、彼女の固定観念をゴリゴリと押しつけられて育ったんです。で、うっかり私が「雨でも楽しい」なんて言おうものなら母の逆鱗に触れ、訂正を迫られる。

村山 子ども心に深く刻まれていたのが「母を怒らせたらえらいことになる」という洗脳。それなので私は母に逆らったことも、言い争いをしたこともなかったのです。

青木 私も、本当に思っていることを言ったことはないです!

村山 健全な親子喧嘩というのは、信頼関係が成立していないとできないですよね。

青木 誰かを信じるということを知らないまま成長した私には、安定感が欠落していたように思います。自分のことを信じられず、だから何をしてもうまくいかなかった。友達関係も恋愛関係も仕事での人間関係も、ギクシャクしてしまいがちでした。

村山 わかります。私も自己肯定感が低くて。実はデビュー以来ずっと、小説家としての自信を持つことができずにいたのです。作品を褒めていただいても、どこか心に響かないという思いがあって……。ただ母の死後、ちょっとずつではあるけれど、自信のなさが薄まってきているのを感じます。