「ネームコーリングはやめろ」

まず、英国の保育士は子どもたちに語りかけるとき、つい「いい子だね、ハニー」と言ったり、何かを頼むときに「そこの絵本を取ってくれる?ラヴ」とか言ったりするのだが、ジョージにはこれが許容できなかった。

「俺はジョージだ。ハニーじゃない。ネームコーリングはやめろ」

いや、だけど、ハニーやラヴは別に他人を中傷している言葉じゃないから、と言いたくなったが、もしかしたらジョージはかわいいものを表現する言葉や親しみをこめた表現で呼ばれることが大嫌いで、馴れ馴れしくされると軽蔑された気分になるタイプかもしれない。そういう大人は確かにいる。幼児にだっていないとは限らない。そう考えるとこちらに非があると思えてきて、

「す、すみません」

と謝罪するしかないのだった。

もっと困ったのは彼の行いを褒めるときである。

「You are kind.(親切だね)」

「You are brave.(勇気があるね)」

というような言葉で彼の善行を讃えると、彼は言った。

「俺の名前はカインドではない」

「ブレイヴなんて俺を呼ぶな。俺にはちゃんと名前がある」

いや、だから、カインドとブレイヴはそもそも人や物の性質を述べる形容詞であって、「ネーム」ではない。「You are George.」と「You are brave.」は一見すると同じ文章の構造だが、文法的には微妙に違って……、などということを4歳児に解説してもしょうがない。でも、人間の特徴や性質をあげつらって他人のことをとやかく言ってはいけないと教えてきた以上、形容詞だの名詞だのというのは些細な事柄には違いない。それに、カインドという表現にしても、行き過ぎるとおせっかいでウザい人になることもあるし、ブレイヴにしても、考えなしに物事をやる無謀な人という皮肉にもなり得る。一般的には誉め言葉なんだからいいじゃないか、というのは大人の傲慢な決めつけではないかとも思えてきて、

「す、すみません」

とやっぱり伏し目がちに謝りたくなってしまうのだった。

世を憂える哲学者のような目をしたあの4歳児も、もう中学生になっているはずだ。こんなことを言うとまた叱られるかもしれないが、カインドでブレイヴでネームコーリングをしないティーンに育っていてくれたらいいと元担当保育士は切に願っている。