カボチャの成長に刺激され

長く続いている趣味で、手放せないものがもう一つ。「園芸」というほど大げさなものではないが、鉢植えの貧弱な草花たちだ。

私は農家に生まれたが、子どもの頃に農作業を見た記憶があまりなかった。初めて野菜が大きくなる過程を意識したのは、結婚して海辺の町に住んだ時。平地は少ししかない地域で、野菜は買うのが当たり前だった。

その頃、旧国道のそばに、ある奥様がカボチャの種を蒔いていた。他県から来たサラリーマン家庭だったから、生活に困っているようには見えない。それなのにあまり雑草も生えない道路の端になぜカボチャを? 砂利で野菜が育つのだろうか、海が時化(しけ)たら潮風で枯れてしまわないかと私は気をもんだ。

だが、心配をよそにカボチャは芽を出し、花が咲き、実がなったのだ。成長を見届けて、それまで農業を遠ざけていた私の中に小さな変化が生まれた。何か植物を育ててみたいと。

その後子どもが生まれ、生活はてんてこ舞いになったが、植物を育てることに目覚めた頃に、夫の同僚からゴムの木と金のなる木をいただく。これらは枯れずにわが家に適応してくれた。

翌年、奥様会の園芸好きの方と親しくなると、株分けしてもらったり、鉢をいただいたりして、植木がみるみる増える。インテリア雑誌に出てくる家の仲間入りをしたかのようだ。

 

土や植物の生命力を目の当たりにする

数年後再び転勤となり、60鉢くらいに増えた草花を捨てるよう、夫に迫られる。しかし生きているものを見放すわけにはいかない、と私はがんばった。「おれよりも花のほうが大事にされている」と文句を言いながら、夫は軽トラックを用意し、枯れた草花のプランターの土までみんな積んでくれた。引っ越しを手伝ってくれた人たちは「今度行くところは農村だから、いくらでも土はもらえるよ」と半ばあきれ顔。

だが、土まで持ち込んだのは正解だった。次の任地の庭には前の住人が植えた草花が残っていて、鉢の草花を花壇に下ろすことはできなかったのである。私は新たにヒメスイレンを育てることにして花壇の土を鉢に入れ、水槽に沈めてみた。するとフワフワ浮き上がってしまう。この土地は火山灰土だったのである。持ってきた古い土と入れ替えると、今度は大丈夫。おかげで重い土と軽い土があることも知った。