彼女の席の前には花を絶やさない

本を読んでくださった方から、「昔のことをなぜここまで詳細に覚えていらっしゃるのですか」と驚かれるのですが、社会学者という職業柄か、日記を書くまでもなく頭の中にすべて記憶しているのです。いい聞き手であり、話し手でもあった彼女の言葉は今でもすぐに思い出せます。

花鳥風月を愛していた妻は、なかでもベゴニアに熱を入れ、わが家の庭でさまざまな種類を育てていました。20年前にこの家を建てたときは、そのためのサンルームを作ったほど。今はわたしがその世話を引き継ぎました。手入れや品種についてずいぶんと詳しくなりましたよ。彼女がいつも座っていたダイニングテーブルの席の前には、花を絶やさないようにしています。

古希を迎えたころからは、体力がひどく低下した妻にかわってわたしが台所に立つようになりました。もともと料理はできなくはなかったし、レシピを調べてその通りに作るのは楽しくてね。「おいしい」と言われると、それは嬉しかった。

妻が亡くなってから、近くに住む子どもたちが毎日メールや電話をくれるようになり、全国各地にいる教え子たちとZoomを使っておしゃべりをしています。コロナ禍で外出の機会は減りましたが、悪いことばかりではないな、と思っています。

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