この先を生きて死ぬ一番いい方法は

超高齢社会を支えるうえで重要な要素に「自助」「公助」「共助」の3つがあります。

自助」とは、自分でできることは自分で行うこと。でも、「自助」には限界があります。老いを重ねて病気になり、死に向かう過程、そして死後の処理においては、誰もが他人の手を借りることになるのです。

公助」は、生活保護や社会福祉などの社会的な支えのことです。しかし、超高齢社会になり支えるべき高齢者が増えれば、公的支援だけでは足りなくなっていきます。民間サービスも一種の「公助」。ですが、これらのサービスを受けるためにはある程度のお金が必要となります。

そして「共助」は、「自助」と「公助」の隙間を埋めるような存在です。かつて家族や親戚、地域の人たちが総出で葬式を執り行っていたのも、「共助」の一つでした。しかし現代では、近所付き合いや親戚との交流、人間関係の構築を面倒だと感じる人が増えたことで、「共助」は急速な勢いで失われつつあります。さらに、「家族や他人に迷惑をかけたくない」と思う人も増えています。

前回ご紹介した3つの契約は、いわば他人に迷惑をかけたくない人のための「公助」の制度です。さらにこの前段階で、自分の異変に気づいてもらうための有料の安否確認サービスも増えてきました。

たとえば、自宅内で一定期間動きがない時に警備員がかけつけたり、月に1回、郵便局のスタッフが自宅を訪れ、30分おしゃべりをして様子を確認するといったものです。また、契約を結んだ弁護士などに、定期的に安否確認をしてもらうこともできます。

これで安心できればいいのですが、せっかく契約しても、「後見人に不正を働かれたらどうしよう」「自宅訪問の翌日に死んだら孤独死になる」と、新たな不安に悩まされることも少なくないようです。

それ以前に、お金を払って誰かに来てもらうよりも、友人が「近所に用があったから」と会いに来てくれるほうがうれしいと思いませんか? 私はこうした無償の人間関係こそ「共助」であり、失われつつある「共助」を少しでも培っていくことが、今こそ必要だと思うのです。